KENCHIKU新聞

槇 文彦 氏


  • 一建築家として(1)

    私にとってモダニズムの建築との出会いは昭和の初期の東京という事を考えれば皆無ではなかった。しかしだからといって数多くあった訳ではない。続きを見る

  • 建築家の出会い(2)

    今、振返ってみると1958年からの数年間は私の人生にとっても、最も濃密な時代であったかもしれない。私にとってまだ30代が始まった中で実に多くの人々との出会いがあったからである。とりわけ今でもそうであるが日本と比較して米国、ヨーロッパの人々は年令差、或いは同じ大学卒業時の差等は全く気にしない文化に育ってきた。日本にある先輩、後輩にあたる適当な言葉は存在しないのだ。続きを見る

  • オマージュとしての建築(3)

    これまで2回の小文の中で、様々な人、或いは人々との出会いとそれにまつわる建築の話をしてきた。建築家であれば、当然多くの建築との出会いも経験する。建築との出会いが呼び起こす回想、また昔出会った建築或いは言葉からの残像がその後自分のつくる建築の手掛かりとなる、所謂オマージュとしての建築作品、これらについて次の2回に亘って語ってみたい。 続きを見る

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