上池袋は池袋駅の北側、池袋駅から分岐する山手線と埼京線に挟まれたエリアである。有数のターミナル駅である池袋駅から1駅の北池袋駅が最寄りのくすのき荘は、山本直さんと山田絵美さんが進める「かみいけ木賃文化ネットワーク」というプロジェクトの中心的存在である。
2016年に立ち上げられたこのプロジェクトの発端は、山田さんのご両親が管理していた木賃アパート「山田荘」が「としまアートステーション構想」という2012年から2016年まで豊島区内で実施された文化事業の拠点になったことである。「としまアートステーション構想」によって、2011年、雑司が谷駅直結の千登世橋教育文化センター内に「アートステーションZ」が立ち上がり、新しいことに挑戦しようとする人たちが気軽に使えるような道具や材料が置いてあるスペースとして運営されていた。その後、活動を地域の中に展開していくため、2014年度の1年間限定で民間のスペースを使ったステーションの場所を探していた時に、事務局の人が山田さんの知り合いだったことから、「山田荘」が「アートステーションY」となった。
「としまアートステーションY」の始動から「上池ホームズ計画」の始動までの経緯。
©Arts Council Tokyo(参考:https://tarl.jp/archive/2016_toshima_y_document/)
としまアートステーションYは「アートが生まれる小さな場」をコンセプトに招聘プログラムを実施し、アーティストの中﨑透さんが滞在制作を行った。山田さんは、こへび隊(「大地の芸術祭」を支える活動するボランティア)の経験があったこともあり、山田荘がアーティストの拠点になるのは、おもしろく使っていくチャンスだと考え、ご両親もそんな山田さんに協力的だったという。
当時の山田荘は、6部屋のうち、借家人は1人だけで、他の部屋は山田さんと山本さんの夫婦が住んだり、山田家の物置となっていたが、1階の2部屋を、いろいろな人が集まる「まちのラウンジ」のようなアートステーションとして開設。大規模な改修はせず、室内に展示ができるボードと入口にデッキを追加した程度。中﨑さんは約半年、滞在しつつ、地域にいろいろなしかけを仕込んでいった。まち歩きをしたり、中﨑さんによるデッサン教室、音楽祭「上池ミュージック・アワー」、公園アンデパンダンin豊島など、月に1回ほどの頻度で何かしらのイベントが起きていた。
中﨑さんがやりたかったのは、山田荘を拠点に上池袋三丁目・四丁目のエリアをひとつの家に見立てた「上池ホームズ計画」。地域のあちこちをつなぎ、そこに暮らす人たちを巻き込みながら、エリア全体がネットワークになり、おもしろく暮らす。最後に展覧会を実施することになっていた中﨑さんは「Practice 大きな家に暮らすための9つの方法」(2015年2月20日〜3月8日の金・土・日)という、中﨑さんが山田荘の近所で見つけたおもしろいものをめぐる、「まち歩き+美術鑑賞の練習」のような内容の展覧会を実施。としまアートステーションYの活動は1年間と短期ではあったが、「オノコラー」(としまアートステーション構想に関わりながら、自分なりのアートステーションを見出し、ゆくゆくは自発的な活動を始めたいと考えている人たち)と呼ばれるサポーターとアーティストがコミュニケーションをとる場所として、山田荘が何かやりたいと思う人たちの拠点となっていった。
中﨑さんがこの時に実施した、「まちを家に見立てて関係性をつくる」というコンセプトは、木賃文化ネットワークに引き継がれている。山本さんはこの経験を通して、地域に既にあるものや人を繋いだネットワークの中で暮らしていく豊かさが風呂なしアパートがもつ潜在的な可能性だと気がついたという。その後、山田荘をシェアハウスにしたり、くすのき荘をシェアアトリエにしていく際に、オノコラーなど、このアートステーションを通して知り合った人たちのニーズを知っていたことが背中を押してくれたと山田さんもいう。こういった活動自体が求められている実感があったことが、続けていく原動力になった。築35年(当時)、風呂なしトイレ共同の木造賃貸アパートを中心に始まった活動が上池袋に広がりつつある。
山田荘をシェアハウスにする時に、夫妻は山田荘を出て引っ越す先を探していた。その時に見つけたのが、山田荘から徒歩数分のくすのき荘の2階であった。窓から見える上池袋くすのき公園の景色をとても気に入ったそうだ。2人はここを「まちのリビング」として借りた。山田荘に住む人は、くすのき荘のシャワーやキッチンを共有で使うことができ、大きなテーブルがある「ラウンジ」も共有スペースである。次に倉庫だった1階も借りることになり、そこはシェアアトリエに、さらに隣の物件も借りることになり、そこの2階はシェアオフィスとなった。風呂なし生活を推奨したいわけではなく、普段の暮らし以外に何かをしたいという人たちの受け皿になれたらと山本さんはいう。サードプレイスをもつことの豊かさについては周知のとおりだが、都心でそれを望むのは難しい。ここでは、例えば、お風呂がないという欠落を補うように、普段の暮らしに足りないものを共有することが、人との関わりを生む、といったように自然なかたちでコミュニティがつくられている。居心地が良いサードプレイスであるためには、そのメンバー個々人がとても大事になるが、アパートもシェアアトリエもシェアオフィスも、山本さんと山田さんが、借りる人の面談をして、「人との関わり」に積極的であるか(他者に興味があるか)、を確認している。面談の結果、お互いに求めているものが違うとわかることもあるそうだ。「多様なメンバーがいることで専門分野のネットワークが紐づいているので、いろんな人とその知見が集まる。」と山本さんはいう。無理にこのネットワークに入ってもらうのではなく、自主的に参加する人が集まることで関係性が育まれていくのだろう。
「くすのき荘」(中央)は1階にカフェとシェアアトリエ、2階に共有のキッチン、シャワー、居間がある。隣接する「くすのき荘トナリ」(左)は2階にシェアオフィスがある。
くすのき荘やくすのき荘トナリの1階は人通りが多い道路に向けて大きく開かれている。七輪で何か焼いていると人が集まって来るという。「あえて、まちの人に見せている」面もあるそうだ。そういった風通しの良さは「集まりに参加しているわけじゃないけど、いい人たちかも」と近隣の人に思ってもらえて、理解につながる。また、各メンバーが映画館鑑賞会や喫茶スペースなどの公開イベントを開催するなど、まちの人が関わる余白が多い。
「まちの人はあたたかく見守ってくれています。メリー(2016年に閉園した上野こども遊園地のメリーゴーランドから譲り受けた馬の乗り物)を上池袋くすのき公園に出していると、声をかけられることもあります。人が集まって、つい騒いでしまったこともあったのですが、やめてほしいということではなく、早めに終わって欲しいということでした。あの人たちは言えばわかる人かもしれないと思ってもらえるような布石は打っています。町会の青年部に入っていて、地域とつながっているのも大きいかもしれません。」という山本さん自身が人に対してオープンだからこそ、地域とのチューニングがうまくいくように思う。
山本さんは神奈川大学で建築を学んでいた。東日本大震災の直後に、入所したいと思っていた大阪の設計事務所にポートフォリオを送ったが、半年過ぎても返事がなかったので、恩師だった曽我部昌史さんの建築設計事務所ソガベアトリエの個人秘書として働くことになった。3年間勤務したソガベアトリエではアートプロジェクトを担当することが多かったので、ソフトのことを一緒に考えるようになったという。「被災した石巻市で集落再生の手伝いをしていた時、手伝いに行ったつもりがお世話され、そこにある暮らしの話を聞いているうちに、建築家がするのは建物をつくるだけじゃないんだなと思いました。それまでの歴史や文化を差し置いて人は幸せになれないなと。学生の時には人がどういう気持ちで暮らしているかまでは考えていなくて、石巻に行ったときに気がつきました。」そう語る山本さんだが、緻密ではないので建築家には向いてないと自身について分析する。くすのき荘の1階につくったカフェの設計は建築設計事務所チンドンに依頼した。これは山本さん自身が設計することをやめた決意表明でもあり、自身で設計するより、建築家とどうコミュニケーションをとったら可能性が広げられるかを考えるほうがいいだろうと思ったという。
そんな山本さんは、今、大家業に加えて、くすのき荘の1階のカフェの店長をやっている。賑わう時間帯もあるというが、できれば接客の時間を増やしたいと思っているそうだ。そうすることで、まちの人たちとより対話ができるし、見学に来る人たちの対応もできるからと。「場所を運営していると納得感がある」とは山本さんの言葉だが、その納得感の積み重ねが次のプロジェクトへの足がかりとなっているのではないだろうか。
チンドンが設計した大きな引き戸。扱いが大変になるので、普通の施主には提案しにくい大きさの扉であっても、山本さんと山田さんが施主であれば、その特性を理解して、建築家のアイディアが形になる、という好例。
山田さんは、「かつての山田荘のような、使われていない木賃アパートを活用する大家さんが増える流れができていくといいなと思っています。物件の特性を大事にしながら木賃アパートを開拓していきたいので、木賃アパートのオーナーさんたちと使いたい人のマッチングができたらとも思います」という。また賃貸契約の内容が今より自由になっていくといいなと思っているそうで、実は山田荘の契約書は飼い猫がいる借家人については1週間に1回、山田さんと山本さんに猫を見せること、というような内容にアレンジされていたりする。
山本さんは「自分がやりたいことにチャレンジできるまちになったらいいなと思っています。この活動で、うまくいかなかったこともあったけれど、失敗をしてもそこでやめないということが大事でした。日々、対人コミュニケーションのあり方を改善しています。メンバーは利用者ではなくて一緒につくり上げていく人であり、自治の場なので、毎月メンバーミーティングを開催して、課題を話しています。」という。メンバーミーティングで出た課題解決の方法として、カフェをつくることになるなど、改善も柔軟にすばやく実施されるのが印象深い。
2人が声を揃えて言うのは、この活動を広げていきたいということ。入居を断っているほどの状況からは、都心に住んでいても人とのつながりを大切に暮らしたいという需要が透けて見える。それは、以前は煩わしいと思われたものかもしれないし、もっと昔は簡単に手に入れられたものかもしれない。木賃文化ネットワークのウェブサイトに「令和の“ご近所づきあい”始めませんか。」という一文があるが、「令和」の時代のご近所づきあいやそれを許容するまちのあり方を考えるきっかけになる場所が上池袋である。
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