KENCHIKU世界/地域に根ざした建築家

Soi|東京都中央区新川|暮らしをコミュニティに開く実験の場(1/2)

交差点に面した角に建ち、壁面に大きな時計と住所が書かれた公共的な構えを持つ明祥ビル。右に越前堀公園が見える。撮影:大塚敬太交差点に面した角に建ち、壁面に大きな時計と住所が書かれた公共的な構えを持つ明祥ビル。
右に越前堀公園が見える。撮影:大塚敬太

 

「長屋」のようなコミュニティと暮らし

横浜国立大学大学院Y-GSA在学時に大和田栄一郎さんと井上湖奈美さんが設立したSoiは、当時から地域コミュニティに関心を寄せていた。現在彼らは自身が設計・改修した、東京都中央区新川にある元・印刷会社本社のビルを事務所兼住宅として活動している。彼らの拠点である明祥ビルに面している越前堀公園は掃除や花の手入れ、雪かきや炊き出しが住民によって自主的に行われ、毎朝ラジオ体操が行われているなど、地域全体の庭のようである。入居者が働きながら住んでおり、その暮らしは「長屋のようだ」と評される明祥ビルは、Soiが生み出した、衣・食・住・芸術・文化が混在する生活の場であり、地域とつながる仕掛けが仕組まれている。

入居者会議の様子。5階にあるSoiの事務所兼住居は一部を除き、共有スペースになっている。撮影:三浦展(光文社新書『100万円で家を買い、週3日働く』より)入居者会議の様子。5階にあるSoiの事務所兼住居は一部を除き、共有スペースになっている。
撮影:三浦展(光文社新書『100万円で家を買い、週3日働く』より)

 

新川にある明祥ビルというオリジナリティを生かす

新川は江戸初期に建立された霊巌寺の寺町「霊岸島」として発展した町である。明暦の大火後に霊巌寺が深川に移転して以降は、江戸城へつながる海上交通の要所として、問屋が集まる地域であった。今はその名残を留めるものは少ないが、茅場町から新川へ渡る霊岸橋や、越前福井藩主松平越前守の屋敷跡地につくられた越前堀公園や明正小学校などが歴史を忍ばせる。

Soiが明祥ビルに関わることになったのは、ビルのオーナーであった大和田さんの叔父が明祥ビルの改修を決めた時にSoiがアドバイザーとして関わったのが始まり。改修にあたり大手の会社が提出した案が、あまりにもこの地域とこのビルのポテンシャルを活かしきれていないと思った大和田さんが、自らも提案したという。このビルの素晴らしさを伝え、場所の「理念」が必要だと訴え、オーナーの理解を得た。

Soiの事務所スペースの窓の外に越前掘公園の緑が広がる。撮影:KENCHKU編集部Soiの事務所スペースの窓の外に越前掘公園の緑が広がる。撮影:KENCHKU編集部

 

建築家自身が「パブリック」に開く

彼らの恩師である北山恒さんがいう「建築家はパブリックだ」という言葉を実践し、暮らしも仕事も公開したら何か楽しいことが起こるのではと思った、という井上さん。「開いた」手応えを伺うと、「団地を出た後に、千駄ヶ谷の雑居ビル屋上にあった木造の家に住んでいて、来客もほとんどなく、周りの人と関わらずに設計の仕事をしていたのですが、明祥ビルに移ってから、いろいろな人と気軽に話すことで思考も変わってきて、仕事も増えました。千駄ヶ谷ではクリエイティブな仕事をしている人が近くに住んでいなかったので、仕事以外の時間にそういう話をすることができなかったのですが、今は、業種が違う人たちと協働や新たなプロジェクトの話などができて良いです。」とのこと。「設計と生活が切り離されていると感じていた千駄ヶ谷の家ではできなかったことを実践しているというところがありますし、月1回、ご飯を食べながら入居者会議をしていますが、きっちりしたルールを決めるのではなく、共用部のルールは話し合いで随時更新するなど、その時の入居者の生活に合わせてよりいいルールにしていこうと思っています。議論をすることも管理の一環と考えています」と大和田さんが付け加える。場所を共有している家族として、このビルを共有している共同体になっている感覚があるそうで、シェアオフィスともシェアハウスとも違うと思っていたが、「長屋みたいだ」と人に言われて、しっくりきたそうだ。
また、入居者とは別にサポーター制度をつくって、もっと多くの人がビルに関わることができるといいなと思っているとのこと。

パブリックスペースである廊下からガラス越しに入居者の仕事の様子が見える。撮影:大塚敬太パブリックスペースである廊下からガラス越しに入居者の仕事の様子が見える。撮影:大塚敬太

 

コミュニティとつながる設計

学生時代の大和田さんは、設計課題でコミュニティの設計をしているのに、主に学生が暮らすようなアパートに住んでいることにも違和感を持っていたそうだ。団地が持つコミュニティに属してみようと決めた大和田さんは、学部2年生から横浜の団地に住み始め、団地の実情について身をもって知った。井上さんとともに当時住んでいた団地のリノベーション計画案を作って、第2 回リノベーションアイデアコンペ(テーマ:リノベーションによる、新しい住み方)に応募。
https://www.renovation.or.jp/expo2012/competition/

団地に多種多様な「出窓」をつくり、そこに住んでいる人の暮らしが外に向けて表出することで、出窓を通して外観やコミュニティとの関わり方も生まれ変わる、という提案は、優秀学生賞を受賞した。審査委員のひとりであった三浦展さんとは、実感に基づいて設計に落とし込むという点で共感することが多く、その後も交流が続いている。
https://www.renovation.or.jp/expo2012/competition/pdf/N3.pdf

「Y-GSAでの設計課題は、建築単体というよりも地域全体を考えた提案をすることが多いが、提案と自分の生活が乖離しているのが気になった」、という井上さんは、自分の暮らしと設計が乖離にしないようにしていきたいと考えている。団地の出窓が外部のコミュニティとの接続部だったように、明祥ビルでも各々の仕事や活動が見えるように使って欲しいと入居者に伝えたという。そうすることでその人がどんな人なのかがわかり、周りとのコミュニケーションが増え、仕事につながることもあるかもしれない。

 

まず街を知る

設計を始める時には、昔の写真を集めるなど、街を知ることから始めるという。今の暮らしと重ね合わせてわかることがあるかもしれないし、その時点では何を設計するのかわからなくても、情報空間を構築することで、物理的な空間にフィードバックしやすいそうだ。事務所の壁面には、もともと1階のオープンスペースに貼ってあった新川の地図「REIGANJI MAP PROJECT」があり、地域の人やカフェに訪れた人が書き込んだオススメ情報がびっしりと書き込まれている。カフェを訪れた人が次に行くところを相談したり、飲食店のネットワークとして使われていたそうだが、情報を防災・食・人などのレイヤーに分けて編集し、新川の街を多層的に見ていきたい、と大和田さんはいう。

レイヤーに分けた地図を、階下に入居しているイラストレーターと一緒に完成させる予定。撮影:KENCHKU編集部レイヤーに分けた地図を、階下に入居しているイラストレーターと一緒に完成させる予定。撮影:KENCHKU編集部

 

場の創造のために建築設計ができること

震災以降、「何を建てるべきかという議論が不可欠」ということをごく自然な感覚として持っているという大和田さんは、「設計を始める前段階の議論をしっかりすることが大事です。場所とお金があるけれど、建築の企画がない、という状況で建築設計の提案をしてしまうと、建築が使われなくなった場合、もう使えないと判断されて建物が壊されてしまいます。作り方を一緒に考えていないと、概念のメンテナンスをしていけない。やはり場所の理念を持つことが大切だと思うのです。」と力を込める。

千駄ヶ谷での暮らしの反省を踏まえて、明祥ビルで豊かな暮らしを設計し、ここでうまく行ったことは他のプロジェクトに活かしているとのことだが、「設計でうまくいかなかったからといって失敗だとは思っていない」と大和田さんはいう。「明祥ビルは、もともと子どもと暮らすことを想定していなかったので、事務所内に段差があるのですが、遊んでいる入居者のお子さんを見ていて、子どもはすぐに段差に慣れるということがわかりました。そうやっていろいろ試しながら暮らしています。」自分たちで豊かさの構築をゼロからしてきたので、多少何かが足りなくても、うまくメンテナンスしながら、調整していける、と思っているそう。

明祥ビルを活動の2拠点目としている入居者も多く、それぞれの地元である仙台や浜松、八女をつなぐことも東京にある明祥ビルだからこそできることである。全国から江戸に物が集まってきたように、今の東京には情報や人が集まる。それを確固とした実感として、設計していくことで、巨大な都市「東京」をしっかりと掴み、根を張った暮らしを展開しているSoiの2人が頼もしく思えた。

Soiの事務所兼住居のキッチン。撮影:KENCHKU編集部Soiの事務所兼住居のキッチン。撮影:KENCHKU編集部

 

 

Soiからのメッセージ

Soi/Studio Eiichiro Owada + Konami Inoue Architects

左から:井上湖奈美さん、大和田栄一郎さん

左から:井上湖奈美さん、大和田栄一郎さん

豊かさの構築

東日本大震災が起きた時、学生だった私達は、建築の無力さと可能性を同時に感じていました。
無力さを感じたのは、建築単体の無力さというより、それを成立させていた状況や考え方に対して、建築や建築に関わる人たちの無関心・無関与な状態です。なぜ建てるのか、という建築を始める前の根幹の部分への問いが湧き上がってきました。

可能性を感じたのは、どう向き合っていくか、という建築した後の関わり方への疑問とアイデアが浮かんできたからです。

そして、建築の以前と建築の以後に、建築という概念の拡がりを見出して行きたいと考えるようになりました。

建築の前後へ取り組む、明祥ビルのようなプロジェクトは、自分達の専門以外の内容を多分に含んでいます。
そうした時に私達は、まずは自分でやってみる、ということを重要視しています。もちろん無謀さを痛感することもありますが、その中から生まれた経験や疑問を建築創造の端緒にしていくことで、実感を伴う場づくり、持続・調整可能な時空間を構築することが出来ると思います。

与えられた豊かさは、脆く、消費されてしまいがちです。
私達が作ろうとしている豊かさは、遠回りで非常に時間がかかるかもしれませんが、一つ一つの実感を積み上げて、分解、再構築が可能な状態を目指しています。