岐阜県養老郡養老町は、この地方を訪れた元正天皇が717年に元号を「養老」に改元したのが町名の由来という、歴史ある地域である。のどかな田園風景を走る養老鉄道で大垣駅から約20分。荒川修作氏とマドリン・ギンズ氏の30数年に及ぶ構想を実現した養老天命反転地や、日本の滝百選に選ばれている養老の滝がある養老公園などで知られる町である。
東京を拠点にするグラフィックデザイン会社エルアンドシーデザイン役員及び建築デザイン部門主宰の安田綾香さんは、曽祖父、佐竹直太朗(この地域の治水事業に功績を残し、県会議員、衆議院議員等を務めた)が養老に居を構え、養老町長を勤めた祖父、成瀬信行をもつ。地域のお祭り「高田祭」の会所として長く利用されてきた築160年の古民家は家族のルーツであり、建物の痛みが目立ち始めた2007年、取り壊して新築するのではなく、改修して残すことを選択した。
「年々地域特有の祭礼や文化が消えゆく中で、建築がその歯止めとなり、人と社会との懸け橋となることで、地方が活性化することを目指しています。」とは、安田さんが2009年グッドデザイン賞の受賞に寄せたコメントである。
母屋であった古民家の改修を終え、同じ敷地内にある2つの蔵のうち、ひとつの改修に取りかかる際、会所として母屋を年に一度使う以上に、町に開く活動を考え始めたという安田さん。今では東京に拠点がありながらも、養老を活性化させたいという志を同じくする人々との打ち合わせや、展示やワークショップ、アーティスト・レジデンシーなどのイベントのために、週に1度、または2週に1度のペースで養老に通っているそうだ。
安田綾香さんが手がけている養老町の古民家。養老公園までは、約4kmほど。
平面図〔図版提供:エルアンドシーデザイン〕
母屋の改修が完成した際、2009年グッドデザイン賞を受賞し、新聞紙面に取り上げられるなど、多くの人に知ってもらう機会となった、という安田さん。さらに「町に開いた地域創造の拠点」とするため、2017年に開催された「養老改元1300年祭」に合わせて、蔵の改修を目指した。
安田さんの活動は、建築Architecture・コミュニティCommunity・現代アートContemporary Art・歴史と未来History/Futureにまたがるが、「場所は大事」と安田さんはいう。「テクノロジーが進み、離れたところの人や情報を繋がることができる現代では、場所性は大事ではないと思いがち。しかし「場所」があるから直接人に会うことができるし、建築空間の質があってこそソフトが活かされると思います。建築家として、その部分をおろそかにしたくないので、古民家をただ綺麗にというのではなく、建築家として次世代に残す使命を感じて、最大限の設計をしました。」
改修された蔵を母屋から日本庭園越しに見る。〔写真提供:エルアンドシーデザイン〕
2018年7月6日に蔵で行われたエキスパートミーティングの参加者は30人強。2016年に続き、2回目となるエキスパートミーティングには、養老公園にある宿「千歳楼」の経営者、養老の特産品である瓢箪で地域おこしをしている岐阜県立大垣養老高校の先生、大垣駅前商店街でレンタルキッチンを運営する方、OKB総研(大垣共立銀行のシンクタンク)の方、隣町の垂井町議員、岐阜県美術館の方、IAMAS出身の建築家の方などに加えて初期から協力している早稲田大学准教授の藤井由理さん、早稲田大学の学生などが集まり、スローフードのケータリングサービスに舌鼓を打ちながら、養老の可能性について、熱く語りあう会となった。
コーヒーを振舞っていた女性は常々、養老でこういった活動があると良いなと思っていたという。養老町で若い人と繋がりを持ちたかった安田さんにとっては彼女に出会えたことで、養老の生の文化情報に繋がることができた。今秋に養老天命反転地でアーティストユニットのナデガタインスタントパーティと仕掛けるプロジェクトについて説明していた岐阜県美術館の方が「人と繋がることは、ことを動かす原動力となる。」というように、それぞれが町の活性化に寄与したいと考えている人たちが集まって繋がる場として、安田さんが手がけた蔵がある。
蔵で行われた第2回エキスパートミーティングの様子。〔写真提供:エルアンドシーデザイン〕
現在の養老に住んでいる人は高齢者が多く、町役場の施政も高齢者向けのものが多い。そんな中で、若い人たちにとっても魅力的なまちづくりをすることで将来を担う若者人口を呼び込みたいという安田さん。「準消滅都市になりかけている養老が良い形で存続できるような、若い世代が元気に快適に住める街が理想です。若い人たちが興味持ってくれるコンテンツとして、アートなどがあると思うので、早い段階から養老のみに固執せずに、大垣にあるIAMASとの連携を目論んでいて、今後、一緒に活動をしたいと思っています。」
まちづくりに関わる際には、養老に居を構えた曽祖父、佐竹直太朗氏、町長を勤めた祖父、成瀬信行氏の存在が、後押ししてくれていると感じるという。安田さんにとって、自身のルーツである養老について調べたり、建築を通して学んだことで、養老への思いが強くなってきてくるそうだ。
現在、地元の遊休不動産の活用についても、より魅力的なコンテンツで新しい文化の拠点を作りたいと、様々なプロジェクトを企画している。養老周辺も取り込むアクティビティデザインを考えて、行政、ビジネスを組み込んだ、養老の将来を見据えるサステイナブルなプロジェクトとして、安田さんの挑戦は始まったばかりである。
10年ほど前に崩壊寸前の古民家を再生したときから、それまでさほど興味の無かった建築に大きな興味が沸き始めた。それはやがて自身のルーツを辿る作業に変わり、いつのまにか1300年という養老町の長い歴史に思いを馳せるようになる。やがては自分がこの建築で何ができるのか、何をすべきなのかということを真剣に考えるようになる。町の治水事業に貢献した曽祖父に始まり、政治家として町の発展に尽力した祖父、そして自身の生家である建築を未来に残すという大きな決断をした父。その流れで今自身ができることは、先代が残してくれた建築を町に開き、多くの人が訪れる生きた建築を創り、そこから養老の新たな未来を生み出すことである、という考えに自然にたどり着いた。
そこからはひたすら養老の魅力を探りながら、地元のネットワークを築くことに邁進する。同時に自ら企画を立てそれを実行するプロセスを何度も繰り返す中で、普段行っている設計業務とはまるで異なる視点と思考を身につけ、徐々に大きな力に変えていっている自覚が芽生えてきた。当初はこの町で何ができるのだろうと思っていたが、今では何でもできる気がしており、町の未来が楽しみになっている。
今の自分にできること、そして自分にしかできないことが、養老町の未来に着実に繋がることを期待して、今後益々養老町を盛り上げていきたいと思っている。(文:安田綾香)
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