館山市に拠点を持つ設計事務所あわデザインスタジオ、岸田一輝さんと安藤亮介さんの出身地は、調布と岐阜。地方で設計活動をする建築家がUターンであることが多いなか、地元ではない地域を拠点にしているのは珍しい。二人は千葉大学大学院時代に岡部明子氏(現・東京大学大学院教授)の研究室に所属し、館山近くの古民家の茅葺き屋根の葺替えを通した里山保全などの実践研究などをしていたが、卒業後は東京都内や地元の岐阜で勤務。その後、館山市に事務所を設立し、活動している。
館山での活動に当たり、岸田さんが思い描いたのは、学生時代に岡部氏が話していたジローナ(イタリア)の建築家のこと。ジローナの街には彼女が手がけたカフェや博物館、ホテルなどが点在し、自らの生活の中に、自身作品と周辺環境を楽しむことが組み込まれている暮らし。スター建築家や企業の建築家かしか見えていなかったという岸田さんにとって、彼女の暮らしは新鮮で魅力的であった。では、「どこで暮らすと豊かな暮らしになるのだろうか」と考えたら、東京ではなく館山であった、という。
「地方都市で設計する場合、東京に比べて、コントロールできる空間が広い」と岸田さんはいう。地方で活動することについて、「南房総のコミュニティの性格は、都市型コミュニティ的な部分もあるが、農村型コミュニティ的な性格の方が強く、地方を中心に仕事にするのであれば、地盤を作るために住んだほうが良い。また、地元ではないことで、ある程度の距離をもつことができ、縁もゆかりもないからこそのチャレンジがしやすいという側面もある」と分析する。また、彼らの活動は館山の中心市街地においてオーラル・ヒストリーを手法とした社会学的調査や住民参加型まちづくりワークショップを行うなど、研究と実践をつなぐ活動が特徴的である。今では、「たてやま食のまちづくり協議会」(農水産物の地産地消により食文化を活性化させる館山市の事業)や景観委員会にも招聘され、総合的に館山のまちづくりに関わっている。
館山で活動していて困ったことも聞いてみた。「この辺りには、建物を建てられる大工さんがいて、設備工事も請けていただける方がいるので、あと構造事務所が近くにあれば」という岸田さん。
オーラルヒストリーの収集の様子 [ 写真提供:あわデザインスタジオ ]
岸田さんは地域おこし協力隊のひとりとして3年間活動した時にまとめたレポートに、「都市の近代化が行政を中心として進められてきたことで、まちづくりは自分たちで行うものという意識が一般市民から失われ、まちづくりの当事者ではなくなってしまった。」と書いている。今、岸田さんは、夏目漱石が講演「道楽と職業」で話した仕事の定義を参考に、まちづくりへの姿勢を模索している。岸田さんが都市計画コンサルタント会社で働いていたとき、支援しているプロジェクトのほとんどは他人のための仕事(職業)であった。この場合、ターゲットが「みんなのため」や「未来のため」といったように不明確になりがちであり、誰のためのまちづくりなのか、誰が必要としているのかわからなくなる。その結果、活動が下火となるケースをよく目にしたそうだ。対して、自分のための仕事(道楽)は、ターゲットが当事者たち自身であるので、まちづくりの中で本当にしたいこと、すべきことが明確になるのではないかと岸田さんは考えた。さらに学問の本質的な態度も道楽的であるので大学との連携事業の親和性も担保できるし、役所の行き過ぎた平等主義的な体質によって身動きがとれない意識が高い行政職員の足枷を外すことができると考えたそうだ。この道楽のまちづくりを進めた館山では、現に大学生の実践研究のフィールドとなっており、また行政の学芸員が自主的に地域の空き建物を利用した展示会をする等の積極的な活動が広がっている。
また、地域の人に対してオーラル・ヒストリー調査を行って、空間と結びついた個人的な思い出(小さな歴史)を集め、多くの人に共有する思い出の場所をきっかけにプロジェクトを行う。それは建築的な価値とは別の基準で選ばれる場所であるが、地域の人が当事者としてまちづくりに関わる(=「道楽」として関わる)ことを後押しする。
このように、地域に住む当事者である彼ら二人は、大学院時代に研究を行っていた千葉県安房地域に根付き始めている。同じように研究を生かして、安房地域で働きたいという後輩の受け皿となることも目指していることの一つだという。
現在、生活圏内にレストランやカフェが完成しており、さらに和菓子屋や飲食店、旅館の改修等の設計を進めている、という岸田さんは、学生時代に憧れを抱いた建築家としての豊かな暮らしを手に入れつつあるように思えた。
まちづくりと建築が一体となって動くプロジェクトは、近年枚挙にいとまがない。それらは多額の工事費を要し、補助金や交付金によってギリギリ成立するというケースも少なくない。その一方で、行政、民間事業者らがチャレンジングなことを企画するが、資金調達段階で難航し、プロジェクト自体を諦めることも多いのも事実である。この諦めこそが、現代のまちづくりの歯止めになっているのではないだろうか。
当然一定の金がないと物事は動かない。しかし廃校のリノベーションに、何億もの金をかけなくてはダメだというのは幻想そのものだろう。何人もの事業資金がないといって諦める民間事業者や行政職員を見てきた。そういう人をみると諦めて欲しくないと思う一方で、なにか自分でできないか、彼らが当事者としてまちづくりに参画する機会を一緒に作ることができないだろうかと考えるようになっていた。
そこで僕らは建築家として、まちづくりやまちに対するインパクトを与えるプロジェクトを成立させる「諦めさせないデザイン」をキーワードとして活動をすることにしている。
僕らの合言葉は、「金がない時は、金がない時にしかできないことをやる」。金があるときには金がある時にしかできない設計がある。一方で金がないときには金がないときにしかできない設計がある。
あるプロジェクトでは1枚50万円の建具を設計するし、あるプロジェクトでは1枚3,000円の建具を設計する。1枚3,000円の建具は、50万円の建具の劣化版ではない。金があったらできない、金がない時にしかできない建具である。このようなデザインの繰り返しで、以上で紹介した建築ができあがっている。これらは建築雑誌で紹介されるものでないかもしれないし、評価されるものでもないかもしれないが、完成した建築たちは事業者の精力的な活動もあり、少しずつまちづくりに貢献し始めている。
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