昨年末、別府を訪れた際、友人が「アート作品の設置に携わった」といって、GALLERIA MIDOBARU(ガレリア御堂原)を案内してくれた。いつか実際に見てみたいとGoogleマップに印をつけていたことを思い出し、とても楽しみに見に行ったことを思い出す。車を走らせて、喧騒あふれる別府の町からどんどん遠ざかり、鶴見岳の山道に入っていくと空気が変わるのがわかった。街路灯も少なく豊かな自然に抱かれる中、かすかに漂う温泉の硫黄臭を嗅ぎながら、GALLERIA MIDOBARUの駐車場に着いた。あたりが薄暗くなりかけている中、赤茶色のファサードが仄暗く立っている様は、古代遺跡のように感じた。
控えめな照明の中、光をまとう作品や工事中に敷地から出てきた岩を使った作品などがホテルのそこここに設置されており、建物のテクスチャーがそれらの背景としてとても活きている。別世界に迷い込んだような感動を覚えつつ、別府の町に戻った。
翌日、同じ友人から、「今、別府に滞在しているアーティストたちがトークをするのだが一緒に行かないか」と誘われた。トークの会場が前日に見たGALLERIA MIDOBARUを設計した建築設計事務所が運営している場所(HAJIMARI Beppu)だと聞き、迷うことなく参加したいと返事した。
トーク会場に着くと、すでに人の熱気で溢れており、皆、あちこちで話に花を咲かせている。近隣住民も常連のようで、アート関係者に混ざって、楽しそうにしているのがとても印象深く、このような交流の場と前日に見た大きな建築物の設計、そのふたつを手がけている背景を知りたいと取材を申し込んだ。
GALLERIA MIDOBARU(2020年) 撮影:ナカサアンドパートナーズ
現在、別府と東京を拠点に活動する光浦さんは、早稲田大学理工学部建築学科を卒業後、「リファイニング建築」1に取り組む青木茂建築工房にて、さまざまな建築や再生のプロジェクトを担当した。
2009年、青木茂建築工房の先輩であった池浦順一郎さんと「DABURA(ダブラ)」という事務所を大分市に共同で設立。その後、DABURA.mへの改組を経て、2025年、ハジマリアーキテクツに改称。
社名の「ハジマリ」については、誰もが幼少期から親しんだ物語の始まりのことば、「はじまり、はじまり」に由来し、建築を通じて「場」のちからを呼び覚まし、人と人、土地と出来事の関係を編み、新たな「物語」をひらくことを大切にしており、この想いを社名に託しているという。まさにその想いが具現化された「HAJIMARI Beppu」は物語が生まれ続けている場所である。その「ハジマリ」について話を伺った。
「独立後、少しスタッフも増えてきた頃、次の事務所は賃貸ではなくて、自分で手を入れられる古い建物がいいなと思って、物件を探していました。」という光浦さんは、古くて使われていなさそうな建物の登記簿を取ってオーナーに手紙を送るなどしながら、物件探しをしていた。そして、使われていない酒卸業倉庫と事務所スペース、上階にはオーナー家族が住んでいた「HAJIMARI Beppu」の建物と出会った。倉庫スペースが貸し出しされているのを見つけて、すぐに内見に行ったが、オーナーと話している途中で建物ごと買い取る交渉に移った。上階に住んでいたオーナーは「大切にしてきた建物を残してくれるのなら」と応じ、契約がまとまった。
まず、水漏れがあった倉庫スペースの修理から取り掛かり、耐震再生と用途変更を経て、現在は1階に陶芸工房と店舗、2階に建築設計事務所、さらに3〜4階に中長期の滞在が可能なキッチン付きの宿が完成した。宿にはアトリエがついた部屋もあり、制作や仕事をしながらの滞在も可能である。https://hjmr.jp/hajimari_beppu/
倉庫スペースを改修した「HAJIMARI LOUNGE」では、これまで約40回を超えるBEPPU PROJECT(https://www.beppuproject.com/)と連携したイベントが開催され、他にもトークイベント、音楽イベントが開催されている。光浦さんたちが自ら仕掛けるもの、他の団体と連携するもの、レンタルスペースとして貸し出す場合といろいろな種類のイベントが開催されている。
このような交流の場のために建築設計ができることを聞くと、構造的な問題の解決と空間性が両立している開口部を例に説明いただいた。「旧耐震基準の建物だったので、建物の再生のために調査をしたところ、コンクリートに問題はなかったのですが、倉庫の大開口部は構造が弱いことがわかりました。補強する必要があり、壁を増やすのは簡単ですが、できるだけ通りとの接続を壊さないような、オーダーメイドの鉄骨のフレームをつくりました」この特徴的なフレームは、通りへの視線を妨げず、また棚としても機能している。
HAJIMARI Beppu(2023年)正面奥に特注の補強のフレームが見える。
ハジマリアーキテクツがリノベーションを手がけた大分銀行赤レンガ館(大分市)は、1913年に辰野金吾・片岡安による設計で竣工して以来、改修を重ねながら継承されてきている。2018年、ハジマリアーキテクツによって約25年ぶりに大幅にリニューアルされた。https://hjmr-arch.jp/works/1073
この改修で、「25年周期で手をいれていくと、建物に永続性をもたせることができるのかもしれない」と感じたそうだ。
このようなハードの残し方や法規的な方向立ての経験値は光浦さんが以前に働いていた青木茂建築工房で得た。
「旧耐震や検査済証なし建築の再生のハードルは高いですが、実際に再生した例としてHAJIMARI Beppuを活用しています。実例がないと古い建物は壊すしかない、となりますが、実例があると、こんなふうにできるんだと思ってもらえたり、HAJIMARI Beppuの設計や運営のなかで気が付いたことを知見として施主に提供できることもあります」
大分銀行赤レンガ館(2018年)
「ハジマリアーキテクツ」の活動は設計を主な業務にしている一般的な建築設計事務所とは違って、企画・設計・運営までを一貫して手がけている。その中でも、「可動建築」を活用した活動は特徴的だ。そういった活動に興味を持った理由について聞いてみた。
「独立する前からやりたいと思っていました。学生の時、石山修武研究室に所属していたのですが、石山さんが「ライトインフラストラクチャー」2という、土地に固定されていない建築の提案をしていたことに影響を受けていると思います。
石山さんがカンボジア・プノンペンの「ひろしまハウス」3(2006年)をつくるにあたって、募金活動をすることになり、そのために新宿のお寺に市を出したりもしました。カンボジアは仏教の国で、仏足信仰というものがあるのですが、それにちなんで、仏足焼きというお好み焼きのようなものを出すことになり、組み立て式屋台を設計して、DIYでつくりました。また、通学時に戸山公園を通っていたのですが、ブルーシートの向こうから味噌汁の匂いがしていました。そんな野外生活の場を抜けて通学していたのですが、その中の芝生の広場にバーをつくってみたらおもしろいと思って、そこで新歓パーティをしたりしていたのは、可動建築の始まりかもしれません」
固定した建築の素晴らしさと同時に、魅力に気がついてないような場所にポータブルな建築を持って行くことで、人がそこで活動していいんだと気がついて、その場の力を引っ張り出せることに興味があったという光浦さんは、大分市内の商店街に屋台を設置したり、ポケットパークになるようなキットをつくったりといった「可動建築」のプロジェクトも実行している。
「ローカルで活動していくなかで、例えば長く続いていて所有者が固定されている商店街に関わろうとすると店舗を借りないとならないですが、それは若い建築家にとっては資金的にハードルが高かったです。街に参加しにくいなあと思ったときに、石山研での活動を思い出し、こういったもの(可動建築)で関われないかと思って始めました」
これまでにつくった「可動建築」は数多く、別府市をはじめ、いろいろな所有者に手渡っているが、2019年に別府公園で「可動建築」が集結した社会実験「カドウ建築の宴」が開催された。アーティストや農業生産者、料理人などが参加したこのプログラムは、ハジマリアーキテクツから別府市に企画をプレゼンして実現した。「可動建築」による簡易なしつらえによって市民活動が屋外パブリックスペースに展開でき、参加しやすく、自由な文化発信の場となり得ることを実証し、翌年、大分県立美術館とその前の国道を封鎖したスペースで「カドウ建築の宴in OPAM」も開催された。
カドウ建築の宴(2019年)別府公園に「可動建築」を集結させた公民連携の社会実験。
街に関わりたいが場所が持てないときに、外向きに自ら街に関わりにいくものが「可動建築」だとすると、街に関わる場所として手に入れたのが「HAJIMARI Beppu」だという。
HAJIMARI Beppuの改修では、当初は宿や喫茶をつくる予定はなかったが、結果的にいろいろなプログラムが重なり、多様な利用者が交差する場所になっている。また、今後、その内容も変化していくかもしれないという。客室などの各所で、これから手を入れていける「過程」であることを感じられるデザインにしているとのことで、建築の物語は未来に向けて着実に「動き出して」いるようだ。
「ここでできたことを新築でもやってみたいし、泉源がある土地が手に入ったら新たな温泉施設にも挑戦してみたいです。それと、事業の組み立てからやってみると施主の悩みもわかるようになります。これは従来的な、住宅や店舗の設計から始めて経験を積むようなキャリアパスが描きにくくなった、若い建築家たちにとっても、自分たちで事業計画を組んで、銀行などから借り入れて、実現するという、そういう挑戦としてもいいんじゃないかなと思います」
一歩踏みだす、一歩近づく、そういったことで建築を起点に物語が動き出す実感を得ること、それは建築家として社会との接続を実感できる貴重な実感なのではないだろうか。
「地形図をみると土地の成り立ちがよくわかるのです。例えば、現在、原宿駅の近くで建築をつくっていますが、そこは原宿の渓谷地形の一部です。明治神宮から竹下通り、渋谷川という水の流れがあり、それが人の流れになって生まれた場所という成り立ちがおもしろいです」
土地の力を身体化され、それが設計に滲み出ているのが光浦さんの建築だとすると、GALLERIA MIDOBARUを見て遺跡のように感じたのは、建築を通した土地の力を感じたといえるのだろう。
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