「52間の縁側」は、高齢者のためのデイサービスである。クライアントの石井さんは、これまでに認知症などのシリアスな問題を抱えていたとしても、ありのままその人らしい日常の暮らしを送れる介護を実践してきた。この設計にあたっては、認知症や障害があったとしても、年老いていくことが日常と切り離されずに過ごしていけるような環境の実現を目指して計画された。
敷地は南北に細長く、崖条例により建物を建てられる範囲が限定されていた。悪条件ではあったが、奥行き2.5間を持った縁側のような床を一直線に設け、メインストラクチャーである木架構と、様々なアクセスが可能な開かれた縁側で、地域に対する構えをつくろうと考えた。そこに街の人が利用する「カフェ・工房」、「高齢者が過ごすリビング」、「はなれのような座敷と浴室」の3つの機能に外部スペースを挟み込むように配置している。大きな構えとしての架構に対し、負けるように小さな壁やヴォリュームを挿入することで、ひとのための小さな居場所を散りばめていった。特に、挿入された建築要素の境界、つまり窓辺を丁寧に設えた。例えば、カフェとテラスの間の窓辺にはデイベッドを設け、厚みのあるニッチに体をあずけられるように寸法や建具の種類、素材の選定を行うことで、一人だけれど、他者と一緒に過ごせるような「居方」を生み出している。
この場所は、地域のNPOや石井さんの仲間の協力により、様々な人たちにとっての居場所となっていく予定だ。他者の手を借りたい近隣のひとり親家庭や、不登校などの子どもたちにとっての居場所になればと皆が考えている。ここに集まる高齢者、障害者、子どもたち、地域の人々、これから彼らの関わりが少しずつ始まろうとしているのだ。地域にじんわりと馴染んでいくために、庭の池や竹穂垣は、地域の人たちにも協力してもらい一緒につくってきた。賑やかなワークショップでの出来事ではあったが、様々な人たちがこの場所で居合わせ、過ごすさまを垣間見ることができた。この建築は橋のようにも、お寺のようにも見えてくるのだ。みんなが縁側でおにぎりを頬張る姿を眺めていると、この建築は、近代日本が無くしてしまった大切なものを思い出させてくれる。
(文:山﨑健太郎デザインワークショップ)
地域医療の拠点となる、末期がん患者とその家族のためのホスピスである。この施設は、病院と在宅の中間のような役割を担うため、末期癌患者の緩和ケアに加えて、患者の家族や友人とゆっくり過ごすことができる住まいのようなホスピスを考えた。つまり病院特有の「孤立」ではなく、日常と地続きとなる終の住処である。
既存の病院に隣接した雑木林のような庭が計画地であった。この環境に新しい建物が立ち上がるのではなく、昔からそこにあるような「雑木の庭にあるホスピス」にしようと設計をはじめた。建物は既存樹木を避けるように配置し、与えられたプログラムは、コンパクトな病室、ナースステーションで、それらを結びつける「居場所」としての廊下は、雑木林を散策するようなシークエンシャルな雰囲気をもたせている。
計画は基本的に平屋で、既存樹木を避けるようにそれぞれのヴォリュームを決定し、天井の高い部屋やハイサイドライトから樹木の枝葉が見える部屋、庭に手が届く部屋などそれぞれの病室に異なる性格を与えた。外壁と内壁は地場の砂を使い、左官職人たちが丁寧に仕上げ、樹木と調和した人の手の跡を感じる柔らかな印象をもたせている。
(文:山﨑健太郎デザインワークショップ)
この保育園は千葉県佐倉市にある定員60名の計画である。
隣地で特別養護老人ホームを営む社会福祉法人誠友会が事業主として計画が進められた。計画は「保育園は大きな家である」という考えに基づいている。
周囲を山林に囲まれた敷地は南に緩やかに傾斜しており、それをそのまま利用して階段状に保育室を配置した。
この「大きな家」では、例えば3歳と5歳が互いに意識できる大きな一室空間としている。逆に3歳の子供が寝ていて、5歳の子供がそばで遊んでいるといった生活リズムの違いは、ここでは「大きな家」の特徴として捉えている。
部屋にならないことで起こるデメリットより死角を極力つくらないことを優先させ、段差の安全対策を必要最低限にとどめ、運営する中で対応を講じるという、誠友会が特養で26年培われた理念が引き継がれた。
南面と北面に大きく開放できるサッシと斜面利用した空間を利用した重力換気により、建物に南から呼び込まれた風は林のように林立した柱の空間を高く持ち上げられた北側のテラスへ抜けていく。南に傾斜した大きな屋根面を冷やす井水散水や屋根から伝う雨を受ける南面のジャブジャブ池は、建物に取り込む風の気化装置にする。建築を環境に対して閉じない計画とした。この保育園で目指している「大きな家」は、この地域にかつてあった農家住宅のようなものに近づいたように思う。
この場所でしか感じられない風や、雨や屋根散水の水が南側の庇から滝になって遊べる楽しみが子供たちの原体験として残ってくれれば嬉しい。
(文:山﨑健太郎デザインワークショップ)
ビジョンパークは、診療から研究・治療、臨床応用・リハビリまで行う神戸アイセンターのエントランスであり、公園のように様々な人々が行き交う場所として構想された。
ここで求められるものは、目に障がいのある人々が一人ではないことを実感でき、生きることに勇気を持てるような空間である。そこには、安全に楽しむための段差によって空間が規定され、目的を持った場所のみに誘導する手すりや、段差を知らせる点字ブロックはない。ここは、目に障害を持った方々がただ守られるのではなく、また病院がリスクヘッジに注力しすぎることもない。目に障害を持った人々が、自らの身体を活かして、のびのびと空間を楽しむ場所として設計をしている。
設計に際して、「目に障がいのある人の方が楽しめる空間」を目指すための試みとして、視覚に頼らずに空間を認知できるレイヤーを複数重ねた。一繋がりの家具を空間全体に巡らせ、見えない中心を生み出すこと。硬さや柔らかさの違うマテリアルを選び足裏で変化を感じ取ること。色の違いを使って、薄目で見ても領域の境が感じられる床を作ること。これらの、目に障がいを持った人の身体が拡張するような工夫を行った。見えないレイヤーの重なりは、振る舞いを見出すための地形のようなものであり、「思い思い」、「惚ける」、「打ち込む」といった様々な『居方』を生み出している。
(文:山﨑健太郎デザインワークショップ)
今、僕らの事務所の前では、事務所ビルの建設工事が進んでいます。白い仮囲いの中から毎日ものすごい音が響き渡り、そう思っては悪いのだけど「迷惑だなあ」なんて感じてしまう。多くの人たちにとって、建設というのはそういうものかもしれません。仮囲いの奥の建物ができあがっても、僕の暮らしにはなんの変化もないので、早く工事が終わり静かな環境で仕事がしたいと毎日思っています。
その一方で、建設に関わる素晴らしい出来事もあります。例えば、荒廃したセントラルパークをニューヨーク市民たち自らの手で復興を果たした話。セントラルパークは生活の一部であり、なくてはならないものだから、民間の資金が提供され、市民たちの活動により現在の魅力的な公園を取り戻しました。あるいは戦後の広島ピースセンターの建設は、敗戦した日本人にとっては希望を込めたものでした。近年、陸前高田の奇跡の一本松を復元させたことも、同じように「心のよりどころ」を失いたくない人々の願いでしょう。
これらの出来事は本来、建設や建築は、たくさんの人たちの願いから生まれて、その完成が待ち望まれるものだったことを思い出させてくれます。もしそうなれたのなら、人と建築の関係は今よりずっと豊かであるし、そんな建築の仕事をしていけるといいかなとも思っています。
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