KENCHIKU世界/地域に根ざした建築家

赤羽孝太(一級建築士事務所 MMMstudio/一般社団法人 ◯(まる)と編集社)|長野県辰野町
「10年後の町」から逆算するコミュニティデザイン(1/2)

文:柴田直美、写真・図版提供:一般社団法人 ◯(まる)と編集社)

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「まちの10年後の1日を前借り」というコンセプトの『トビチMarket(トビチマーケット)』の様子。
「まちの10年後の1日を前借り」というコンセプトの『トビチMarket(トビチマーケット)』の様子。

 

「建築家」ではなくコミュニティアーキテクト

長野県辰野町は、「日本の地理的中心」(本州中央の北緯36度と東経138度が交わる地点)がある山間部の町である。山を隔てて塩尻市や諏訪市に接しており、中央を天竜川が南下している。森林面積は14,762.86ha(令和3年1月1日現在)で町の総面積の約87%を占め、豊かな自然に囲まれている。

江戸時代当初に中山道の宿場町となった小野や、戦前、伊那と松本を繋ぐ輸送の拠点として商工業が栄えた辰野駅周辺などを保有するが、1970年代後半に中央自動車道が開通して以降、マイカーの普及などにより、1980年をピークに町の人口は減少している。(2022年5月1日現在の人口:18,757人)辰野駅の商店街も次第に廃れ、現在はシャッターを下ろしている店舗が多い。

赤羽さんは長野県辰野町出身で、大学で建築を学ぶために首都圏に進学し、卒業後も都内で働いていたが、3年間の首都圏と辰野町の2拠点生活を経て、現在は辰野町で建築設計だけにとどまらない八面六臂の活躍をしている。

「自分のことを建築家じゃないと思っています」と赤羽さんは言う。実際に辰野町での赤羽さんの活動のほとんどは設計とは直接関係しないものである。「(建築という)ハードの設計という意味での建築家ではないし、そこは目指していないのですが、コミュニティをつくるお手伝いはしているので、コミュニティアーキテクトと名乗っています。」それでも、取材に伺おうと思ったのは、コミュニティにおける建築のあり方が、とても健全だと思ったからである。建築を軸としたまちづくりはされていないが、まちづくりの過程で居場所となった建築の存在が大きいように感じる。

 

 

ソフトが99でハードが1の最後のピース

父が大工であった赤羽さんは小さい頃に現場に遊びに行っていたそうだ。その後、神奈川大学で室伏次郎さんのもとで建築を学んだ。赤羽さんがもつ「建築家」像は室伏さんのような人であり、翻って自分は「建築家」ではない、というのが、前述の趣旨である。いっぽうで、岡部友彦さんが横浜市寿町にあるドヤ街を宿街に代えるというというプロジェクト(https://yokohama.hostelvillage.com/)に関わり、建築の設計ありきではないまちづくりを体験した。卒業後、大学の助手を経て、建築家の物件を請けることが多い工務店で大工として3年間働いた。「線の重みを知るためだった」と振り返る赤羽さんは、その工務店で新築を2件、改修を4件、施工した。そこでは配筋から鉄板を切るなども含め、なんでもやっていたそうだ。また、大工として働く傍ら、夜間に一級建築士の勉強をして、合格。その後、同級生が始めた建築設計事務所を5年勤め、主に新築住宅設計や建物調査を手がけることが多かった。

順調に「建築家」への道を歩んでいたように思える赤羽さんが今、辰野町で実践していることは、イベント企画・運営、デザイン、コンセプトワーク、ブランディング、ウェブサイト制作、建築設計、DIY施工、不動産業、古物商、産業廃棄物、レンタサイクル、シェアオフィス、シェアハウス、企画ダイニング(飲食店)、日曜雑貨店、ギャラリー運営、コンサルティングなど、とにかく幅広い。そのうえ、街を歩けば声がかかり、トイレの不具合も直す。頭も体も動かし続けている印象である。学生時代に寿町で「まちづくりとは、ソフトが99でハードが1の最後のピース」と実感したことが原体験だと赤羽さんは振り返る。

 

『トビチMarket(トビチマーケット)』の会場となった「角十」という元呉服店の掃除は、学生たちがイベント化して、2日で片付けを完了。荷物が置いたままで賃貸に出せない不動産も、使えるように掃除して貸し出す+まだ使える建具や家具などはストックして別の場所で転用する。
『トビチMarket(トビチマーケット)』の会場となった「角十」という元呉服店の掃除は、学生たちがイベント化して、2日で片付けを完了。荷物が置いたままで賃貸に出せない不動産も、使えるように掃除して貸し出す+まだ使える建具や家具などはストックして別の場所で転用する。

 

 

辰野町へのUターン

赤羽さんが生まれ育った辰野町に戻ってきた経緯を伺った。「2013年、叔父から、辰野にある空き家500軒以上を官民で協力してなんとかしようとしているので参加しないかと電話があり、「辰野町移住定住促進協議会」に参加しました。職能が役に立つことがあればいいなと思ったのですが、サラリーマンをやっているとなかなか辰野町に来られないので、独立しました。そして、協議会で、いろいろ発言してみたのですが、何も進まない。その理由はその会にプレーヤーがいないことだと気がついて、何かやるなら自分がプレイングプロデューサーになるしかないと辰野町に帰ることにしました。」

赤羽さんが帰ってきて能力を遺憾なく発揮するために辰野町職員の野澤隆生さんが制度設計し、赤羽さんは集落支援員(地域おこし協力隊よりも古い制度で任期がなく、継続的に地域のことを把握していく人材)になって、辰野町をメイン拠点とし、横浜のシェアオフィスにも机を持つ、2拠点生活が始まった。

赤羽さんと野澤さんが最初に始めたのは、モデルハウスとして公開することを条件に、移住者と地域住民らが協力しあってDIYで家を改修する「空き家バンク成約物件のDIY改修プロジェクト」。空き家を問題や課題と捉えていた辰野町も、赤羽さんが辰野町に帰ってきてから年間30件ほどの空き家バンクの登録が進むようになり、地域の大切なリソースとして捉え直し、現在は登録が200件を超え、全国的に見てもかなり高い稼働率(75%〜80%)である。また、集落支援員の活動をしながら、空き家になっていた下辰野商店街の元洋装店を自身で借りて、1年8ヶ月、時間を見つけて改修を続け、2018年夏にシェアスタジオ「STUDIO リバー」をオープンした。「リノベーションするとこうなるよというショールームになりました。」というリバーは、情報と人が集まる場所にしたいと考えて、シェアオフィスを始めたという。1階の雑貨店は、買い物ついでに話をするなど、人が行き交う場所になっている。空き家改修には建築家としての職能が充分に活かされたと思うが、「あの人がここに住んでくれたらいいなというソフトの面がおもしろかった」という赤羽さんは、建築家として設計し続けても10年かけても40軒くらいしか関われないが、プロデューサーになって建築家に依頼すれば、500軒の空き家をどうにかするミッションが達成でき、プロデューサーや地域調整の方が得意領域と考えて、建築家としてまちづくりに関わることをやめた。

 

現在、12か所の拠点をもつ赤羽さんが最初に借りた洋品店だったビル。シェアスタジオ「STUDIO リバー」として再生された。
現在、12か所の拠点をもつ赤羽さんが最初に借りた洋品店だったビル。
シェアスタジオ「STUDIO リバー」として再生された。

 

 

地域の暮らしを豊かにするための空き家を使ったリアルシムシティ

「ローカルは一人の価値が大きいです。東京にいると、替えはいくらでもきくと感じるが、ローカルでは自分に対する価値肯定がしやすいです。建築のプロフェッショナル化ではなく、建築を頂点にジェネラリスト化していっています。」現在、赤羽さんは12か所の物件を借りているが、家賃が全部で30万円くらいという。そして東京ではできないようなインパクトを地域に与えている。行政の事業として始めたものの中から、継続したい事業を引き継ぎ、その後も空き家問題に関係していくため、『一般社団法人 ◯(まる)と編集社』(https://maruto.or.jp/home)を4人でたちあげた。『一般社団法人 ◯(まる)と編集社』では、空き家に関係する事業を全てやっている。例えば片付けが終わってない物件にある不要なものは産業廃棄物として処理するため産業廃棄物事業者と提携して片付けの手伝いをする。その中で、廃棄するにはもったいないものは古物商許可をとり、移住者や新たにお店を始める人に安く提供していく支援をしている。赤羽さんが実現したいのは地域での暮らしや仕事を今より少しでも豊かにすることなので、自ら設計したいということでなく、自分たちで設計や施工などできる借り手には任せて、その他のプロジェクトに力を注げるようにするという。「全部自分でやるとゴールが見えてしまうのですが、人に任せると完成が楽しみです。町もアノニマスな感じになっていきます。僕自身、誰がやったかのか分からないまちづくりのほうがいいと思っています。」

赤羽さんは、身近な場所がおもしろいほうがいいし、美味しいご飯が食べられるところがあったほうがいい、遊ぶ場所があったら日々の暮らしが楽しい、自分のQOL があがって周りの人にとってもよければ尚良し、と自分の時間と金をつかってシムシティをしているようだと笑う。

 

赤羽さんを含む、同志4人で立ち上げた『一般社団法人 ◯(まる)と編集社』が手がける業務内容は幅広く、「まちの再編集」が仕事である。
赤羽さんを含む、同志4人で立ち上げた『一般社団法人 ◯(まる)と編集社』が手がける業務内容は幅広く、「まちの再編集」が仕事である。

 

 

不動産業がうみだすコミュニティ

「不動産のおもしろさを知りました。建築は請負ですが、不動産は違います。」と話す赤羽さん。建築が関わることができるまちづくりは、建物やその界隈限定だが、不動産は攻めのまちづくりができると考えた。「普通、不動産屋さんは、手を加えなくても価値があるものを取り扱いたいと思うのですが、僕はハードルがあるものを改修、ブランディング、設計、デザインなどできます。そういう物件を扱うことをおもしろいと思うので、地元の不動産屋さんが取り扱うものと競合しないのです。そのまま売れるものは地元の不動産屋さんへ紹介したりします。また、ハードルを超えてまでもやりたいと思うお客さんはそもそも能動的な方なので、まちづくりの仲間にもなります。」「地域コミュニティをつくるために必要なことはなんでもやります。自身でも事業を始め、融資に加えて様々な支援や補助サービスのこともわかっているので、新しいお店を出す人にそれも含めて提案できます。」と頼もしい。建築をやっていてよかったと感じるのは、いろいろな方向からものを考えるという思考性を獲得したことだと赤羽さんはいう。ソーシャルイノベーションを起こす人達の能力のなかに建築家が持っている要素がかなりあると聞いたそう。赤羽さんは世の中が思う建築家像とは違うが、彼がいるところは建築家にとっての新しいフィールドなのではないか。ひとつの職能にとどまらず、横断的にコミュニティ全体を実務的にひっぱることができる人材をどこの市町村も求めているのではないかと思う。辰野町には赤羽さんという人材がいて、強い求心力というより、波及力を持っていることにより、徐々に活気を取り戻しているように見える。

 
 

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