KENCHIKU世界/地域に根ざした建築家

モロークスノキ建築設計|フランス、パリ|公共建築への挑戦(1/2)

文・写真(明記以外):柴田直美

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ヒューマンスケールと大規模建築空間との間を埋める

パリを拠点にするモロークスノキ建築設計が世界的に注目されたのは、グッゲンハイム・ヘルシンキの国際設計競技で一等を獲得した2015年。稀に見る規模の施設のオープンコンペだったこともあり、世界77カ国から1,715点の応募があったことや、すべての案をオンラインで公開したことなど大きな話題となった。残念ながら実現には至らなかったが、その経緯については以前にインタヴューにまとめている。

https://kenchiku.co.jp/online/interview/interview_no016.html

2019年末、モロークスノキがオーストラリアのパラマタで開催された「パワーハウス・パラマタ(Powerhouse Parramatta, Museum for Applied Arts and Sciences)」の国際建築コンペティションに勝利したと聞いた。シドニーから移転して新設される予定の新しいアートセンターの延床面積は35,000㎡と、グッゲッハイム・ヘルシンキの約2倍。世界を股にかけて大規模な美術館の設計が続くモロークスノキがもつ「地域性」への視点について話を聞いた。(パワーハウス・パラマタの進捗:http://www.infrastructure.nsw.gov.au/projects-nsw/powerhouse-parramatta/

 

パワーハウス・パラマタの全体CG。
パワーハウス・パラマタの全体CG。(画像提供:モロークスノキ/Genton)

 

パラマタは、オーストラリア最大の都市であるシドニーから西へ25km離れた都市である。1788年に英国人がシドニーを発見したときにパラマタにも入植し、その後の約70年間、歴代の総督が官邸を構え、オーストラリア国内最古の公共建築物として旧総督官邸が残るなど、数々の建築遺産が建っている。だが、モロークスノキが目をつけたのは、それ以前の風景-ポート・ジャクソン湾の海水とパラマタ川の淡水が合流する豊かな水辺の周りに先住民の人々が集い、暮らしてきた歴史である。強烈な太陽、たくましい緑、内陸から吹く熱風、そういった荒々しさ、朴訥さ、正直さを、プロジェクトの姿勢として取り込みたいと思った、という。

「敷地に大きなボリュームを置くことにためらいがあった」と楠さんはいう。大きな規模の建築ではあるけれども、訪れる人はもちろん、近所に住む人、そこを通りすがる人、一人一人の体験を大切に扱いつつ、新しいシンボルを堂々とデザインしたいという姿勢が「どうやってヒューマンスケールから大きなアートセンターの体験へのジャンプを埋めるか」を考えることにつながっている。

構造家の佐藤淳さんと相談して考え出した「ラティス・ラティス・ラティス」は、スチールを編んでいるような身近なスケールのラティス(格子)から始まり、それらが組み合わさることでより大きなサイズのラティス (ラティス²)となり、建物、地域コミュニティの感覚圏に入るサイズになる。ラティス²を更に組み合わせることで最終的にラティス3となり、グローバルなアートセンター、多種多様な匿名の人々の感覚圏へと昇華する。身体的な感覚の延長としての大規模空間、都市スケールのシンボルの模索というのは、モロークスノキが問いかけてきた「間(あいだ)の空間」の一つの解であり、グッゲンハイム・ヘルシンキ案でも提案していた「断片化した個と、個の集合でできた全体」を思わせる。

 

ラティス・ラティス・ラティス
ラティス・ラティス・ラティス(画像提供:モロークスノキ)

 

ラティスの最適化工程でのスタディ模型画像 作成:佐藤淳構造事務所
ラティスの最適化工程でのスタディ模型画像 作成:佐藤淳構造設計事務所
(画像提供:モロークスノキ)

 

大規模公共事業で匿名の利用者に向けて何を設計するか

シドニーのサテライトシティのうちで一番シドニーに近いパラマタに、今までなかった大きな文化施設をつくるというシドニー都市圏拡大構想の一環で計画されているパワーハウス・パラマタ。先住民の人々が多く住むパラマタにアートセンターをつくるメッセージとして、土地に愛着を持っている先住民の人々への思いを忘れたくなかったと楠さんはいう。オーストラリアはヨーロッパからきた人々が入植して以来、1970年代まで続く白豪主義により先住民が迫害され、「文化的なジェノサイド(Cultural genocide)」により同化政策を強行された重い歴史があるが、このアートセンターは、誰に対してもフラットでフェアな姿勢を持ち、未来構築的なメッセージを体現するものとしてデザインしたいと思ったそうだ。(フラットでフェアな姿勢は建築において構造的・意匠的な理として表現された。)

公共建築にはデザインだけではなく明確な社会的ステートメントや姿勢が求められる。それに強く興味を持っているという楠さんとモローさん。「「公共」のことを考えるとき、自分の中の市民性のようなものが自然と鍛えられる気がします。それが、今まで建築関係者として信じてきたことや背負ってきたものに客観性、バランスを与えるというか。時々、国際コンペに挑戦したいと思うのも、自分たちの立ち位置をもっとさらに中性化し、まっ白な気持ちになれるからかもしれません。大事にしたいのは、建築家のイデオロギーが建築の前面にでることでなく、建築が纏う空気・視点・感覚を大事にして、建築家が見ていないようなものを建築にすることです。アートを見るために集うということだけではなく、共通の興味や目的を持っていない人たちがただ集まった時にも、それぞれが個人的な経験を持ち帰ることができるようにしたいのです。私たちが目指すこのような建築は、一瞬見ただけではわかりにくく、完結していないようなプランになることもあるのですが、審査員には時間と想像力を使って見てもらえたらと願っています。建築家がスタイルを持っているほうがクライアントは選びやすい一方、建築のスタイルではなくそこでの活動、つまり人が中心となる建築を動かしていくにはパワーがいるので、そういった提案を選ぶことが大変というのもわかります。パワーハウス・パラマタの新館長はとてもパワフルな女性で、その点を十分理解してもらえているので、建築をアクティベートし続けてもらえると思って期待しています。

 

モロークスノキ建築設計の事務所の様子。
モロークスノキ建築設計の事務所の様子。(写真提供:モロークスノキ)

 

また、事務所の規模の割に美術館や公共施設などのインスティチューショナルな建物を多く手がけているのは、大きな規模のデザインに興味があるからだという。日本のバブル期には大御所建築家がどんどん大規模な公共建築を設計していたが、モロークスノキの世代にはその機会はほとんどない。いっぽうでインドや中国では現在、どんどん新しい建物が建っている。パリに事務所を構えることで、世界で計画される大規模な公共建築に関わる機会を得ている実感があるそうだ。

「小さい建築では、ソーシャル・コンテクスト(社会的な文脈)が1通りになりがちですが、規模が大きくなると、よりコンテクストが複雑になり、最終的に、ヒューマニティ(人間らしさ)の話になってくるのが興味深いです。」文化施設をつくるには、アイディアをつくりあげる時間が必ず必要だと話すモロークスノキは、その時間を確保できないと事前に分かった招待コンペには参加しなかったそうだ。

公共施設は、私設施設に比べて採算性がすべてを規定せず、社会的、文化的コンテクストに置いての長いスパンでのビジョンを構築できる利点がある。モロークスノキが設計を進めていく中で、パワーハウス・パラマタの設立を進める新館長と話すたびに「違った人たちをつないでいく場所をつくることが大事である」というビジョンを背負っている意味に気がつかせてくれるそうだ。その合意をもとに進めていくことが必要だという。

ソーシャル・コンテクストからモロークスノキのプロジェクトを見てみると、例えば、『ギアナ記憶と文化の家』を設計したギアナは、国民の80パーセントが25才以下。仏領であるギアナでフランス国籍を獲得するために若い人口が周辺国から流入している。そんな多民族入り混じる中で、刷新し続ける国のアイデンティティを構築し、次世代につたえる場所を持つ必要があると、植民地時代に軍病院だった建物群(保存指定)をギアナ初の文化複合施設とした。

 

アウトサイダーとして設計すること

楠さんはフランスへの留学時代、そして現在のパリでの暮らし、モローさんも日本に留学し、日本で建築設計事務所に勤務していた時にアウトサイダーとして暮らしていた体験を持つ。そして日本とフランス以外でプロジェクトをするときは二人ともアウトサイダーである。

空間に匿名性を求める時に、外国人(アウトサイダー)として暮らしたときに感じた、事前に規定されていない空間で過ごした経験が思い出されるという。「能動的でさえいれば、建物が受け入れてくれるという体験です。建築デザインはもちろん大切ですが、その強さが前面にでると、建築がひとつのスペクタクルになってしまうことはあると思います。そして、訪れる人は消費のサイクルに取り込まれてしまうことも。建築が消費社会の一部であることは避けられませんが、訪れた一人一人が能動的に関わっていけるような建築でありたいと思います。」彼ら自身が経験してきた「間(あいだ)の空間」の柔らかさが、彼らの建築づくりのベースになっているのだろう。

現在、モロークスノキで働く20人のスタッフのうち、13人程度がシドニーのプロジェクトに関わっているが、国籍はさまざまである。もちろんパリという場所性もあるが、あえて国籍の幅が広くなるようにスタッフを選んでいるそうだ。コンテクストの掴み方が違うスタッフが混在するチームによって、チーム内においても一人ひとりが違っているという前提をもとに、人を数値化するような設計を避け、個人を特別な存在にしているものが見えなくならないようにしている。

今まで何度か設計に対する姿勢やグッゲンハイム・ヘルシンキの設計過程などの話を聞いていたが、モロークスノキの建築にある、小さな声を拾いつつ、大きな建築としてまとめあげるという挑戦がさらにオーストラリアでも続いていると確信した。全ては拾いきれないという側面も自覚する謙虚さと、それでもそれを諦めないという粘り強さが建築として実現した際にどのように現れるのか楽しみである。

 

モロークスノキ建築設計

左端から、ニコラ・モロー、楠寛子(写真提供:モロークスノキ)

モロークスノキ建築設計からのメッセージ

ロックダウンされるようになってから、私たちの事務所では酵母(水ケフィアなどの)を発酵させる人が増えました。夏のロックダウンと違って冬は草木が育たないので、酵母を育てるという…。飛行機の速さに慣れた世界から、徒歩の世界へ。カフェやバーに溢れていた喧噪の音量から、酵母が発酵するグツグツという音量へ。世界は随分変わりました。今となっては、大きくて速くて騒がしい世界を懐かしく感じます。国境が閉まると聞いて急いでシドニーからパリに戻ったのは2月の初めでした。幸いなことにシドニーのプロジェクトはコロナ禍の中でもスピードを緩めることなく、季節も時間帯も反対のところにいるメンバーとビデオミーティングで驚くほどスムースに設計が進行しています。コロナ禍の前に現地で集合して、一緒にプロジェクトを立ち上げた時間があったからこそ、困難を乗り越えようとする協力関係がより強固になったのかもしれません。一方、そのダイナミックさやスケールとあまりにかけ離れた静かな冬のパリの自宅半径1キロ圏から、何が起きているのだろうか、何がこれから変わっていくのだろうかと考えるこの頃です。

物理的なつながりが弱まり、私たちに見えている風景や聞こえている音はますます限定的で表面的になってきていると思います。ビデオやアポイントメントの時間枠で切り取られた窓からでは文字や数字は追えても、それは全体像/コンテクストを与えてくれません。人が纏っている空気や現象から得られる「なんとなく」の像、情緒といったものが失われていきはしないかと少し心配しています。私たちの設計においても、非限定的で未決定な空間を積極的にデザインしようとしてきたのですが、ここにきて、そういった曖昧さや淡さというものを伝えることはこれからますます挑戦となりますし、距離を補完するような心遣いを持ってプロジェクトに取り組んでいきたいなと思います。

https://www.moreaukusunoki.com/

 

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