レポート

映画『だれも知らない建築のはなし』公開記念トークイベント

文・写真:柴田直美

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2015年5月26日(火)、2014年第14回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館での展示に向けて制作されたドキュメンタリーに新たなコンテンツを足した映画『だれも知らない建築のはなし』の公開を記念し、劇中でインタヴューに答えている建築家の伊東豊雄氏、そして建築史家の五十嵐太郎氏と監督の石山友美氏が青山ブックセンター本店にてトークを行った。ドキュメンタリーは、1970年代から現代までの日本のドメスティックなコンテンツが中心となった日本館の展示の中において、国外からの目線(国際性)を持ち込むものとして計画された。5人の建築家(安藤忠雄、磯崎新、伊東豊雄、レム・コールハース、ピーター・アイゼンマン)と1人の建築批評家(チャールズ・ジェンクス)へのそれぞれ2時間程度に及ぶインタヴューを中心に制作され、今回の映画化にあたり、中村敏男氏(元・雑誌『エーアンドユー』編集長)と二川由夫氏(雑誌『GA』編集長/発行人)のインタヴューが追加された。トークで伊東・五十嵐両氏が「編集の見事さ」を指摘したように、写真による建築の紹介は非常に簡潔に抑えられ、放談のようなインタヴューが主となり、あたかも対話になっているようにテンポ良く構成されていて、引き込まれる。

1982年、フィリップ・ジョンソン氏とピーター・アイゼンマン氏の呼びかけにより、当時、世界的に活躍する建築家が集まる非公開の会議「P3会議」が米国で開かれた。欧州からの15名、米国からの10名に加えて、日本からは磯崎新氏と当時無名の若手であった安藤忠雄氏と伊東豊雄氏が参加している。それぞれが実現する予定がある計画中のプロジェクトを持参してプレゼンテーションをし、他の出席者がコメントをするという内容であったので、伊東氏は自邸シルバーハットの原案を、安藤氏は住吉の長屋を持ち込んだという。伊東氏は「何かを持参しないとならないというので、自邸の計画をでっちあげて行った。本当は自邸をつくるつもりなどなかったが、P3でさんざん案をけなされ、見返してやろうじゃないか、と奮起し、シルバーハットが実現した。」と振り返る。ちなみに安藤氏はレオン・クリエ氏から冷酷な拍手を送られ、「これは牢獄だ」と酷評されている。参加者の1人であったレム・コールハース氏による「日本人はコミュニケーションができていなかったがためにオーラがあり、現在まで飽きられなかった」というコメントが、観終わったあとにもすごくひっかかっていた。一方、伊東氏がトークで「未だに西欧目線で全てが語られることに違和感がある。日本語がもつ曖昧さが建築にも表れていると思うので、それであれば英語が苦手で良かった。」と話したが、その点についても、やはり釈然としないが、ともあれ、国際的な活動するようになった日本人建築家たちが自分たちの振る舞いに自覚的であることは不可欠となり、その点ではやはり磯崎氏は次々に様相を変える建築界との距離を意識的に取ってきたと思った。

1978年、ジェンクス氏が発表した『ポスト・モダンの建築言語』で竹山実氏による二番館が表紙を飾り、日本建築がさらに海外からの注目を集めた。「多元主義(pluralism)を表象し、メタボリズムのような数年で終わってしまうようなムーブメントとは本質的に違うものである」とジェンクス氏は言うが、「『ポストモダン』という単語でくくってしまったので、消費されてしまったのではないか」と石山氏は指摘する。コールハース氏と二川氏が言うように、「ポストモダンは日本人建築家が海外に出て行くための武器だった」とすると、現在の日本人建築家の武器はなんだろうか。

五十嵐氏は「この映画を見て、改めて磯崎氏のキュレーターとしての能力の高さを思い知った」と言うが、熊本県知事であった細川護煕氏と磯崎氏が1988年に始めた「くまもとアートポリス」では、「1970年代に設計を始めた建築家たちに住宅規模以上のプロジェクトをさせようと思った」と磯崎氏は当時の意図を明かす。コミッショナー制度(初代:磯崎新、第2代:高橋靗一、第3代:伊東豊雄)を採用し、現在も熊本県の豊かな自然や歴史を生かした建築を通して、地域の活性化に資するとともに、世界へ向けて「熊本」を発信するプロジェクトとして継続されている。47歳になる伊東氏が初めて公共建築を手がけたのも八代市立博物館である。
また1980年代後半に構想が始まり、1991~1992年に完成した「ネクサスワールド(スティーブン・ホール、レム・クールハース、マーク・マック、石山修武、クリスチャン・ド・ポルザンパルク、オスカー・トゥスケが参加して福岡市東区香椎浜地区に建設された集合住宅群)では磯崎氏がコーディネーターとして建築家を選出した。コールハース氏は磯崎氏が設計しやすい環境をつくってくれていたと言うが、バブル経済の終わりに完成したこともあり、住宅は売れ残ってしまった。その一方で事業主である福岡地所が同時期にジョン・ジャーディ氏に依頼したキャナルシティ福岡は大成功を収めたのは、建築家としての世界的な評価と事業の成功は必ずしも(いや往々にして)一致しないという例なのだろうか。劇中で福岡地所の担当者であった藤賢一氏は「建築家たちの言葉は哲学的で、何を話しているのかまったく理解できなかったが、ただ皆、真剣に話していた。」と回想する。

建築家たちは正直に話しているようにも牽制し合っているようにも皮肉ばかり言っているようにも見える。伊東氏や五十嵐氏も同意するように、出てくる誰もがかなり強烈な個性を持ち、世界で渡り合って来たのだという風格を漂わせている。かたや彼らにも若かりし頃があり、壁にぶつかったり悩んだりしながら建築に取り組んで来たというのも事実である。「社会の中の存在としての建築家になりたい」という伊東氏と「社会に貢献している満足感が得られない」というコールハース氏。既に確立された地位にある彼らでさえも建築家としての職能を再考し、建築の在り方を探し求めている。
バブル経済も経験せず、2000年以降に設計を始めた建築家たちはどう未来をつくるのか。歴史を自分の目で見直し、自ら切り開くしかないのだと同世代の(79年生まれ)の監督が背中を押しているのではないかと思った。

『だれも知らない建築のはなし 』

2015年|日本|73分|カラー|ドキュメンタリー

出 演:安藤忠雄 磯崎新 伊東豊雄 レム・コールハース ピーター・アイゼンマン チャールズ・ジェンクス 中村敏男 二川由夫

監 督:石山友美 撮 影:佛願広樹

原 題:Inside Architecture -A Challenge to Japanese society

製 作:第14回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館製作委員会、P(h)ony Pictures

配 給:P(h)ony Pictures 配給協力・宣伝:プレイタイム

公 開:2015年5月23日(土)からシアター・イメージフォーラムにて公開中、以降、全国各地でも公開予定。

石山友美
1979年生まれ。日本女子大学家政学部住居学科修了。磯崎新アトリエ勤務。ニューヨーク市立大学大学院都市デザイン学科修士課程修了。フルブライト奨学生。在米中に映画制作に興味を持つようになる。監督デビュー作『少女と夏の終わり』が第25回東京国際映画祭「日本映画・ある視点」公式出品。父は建築家の石山修武。

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