鎌倉の御成町商店街に路面店のような事務所を構える田邉さん。イギリス・ロンドンの設計事務所FOAでの勤務を経て、最初に鎌倉で事務所を開設したのは2008年のことである。「鎌倉は徒歩で大体事足りてしまうし、歩いていても楽しいウォーカブル・シティです。僕は自転車すらも乗っていないんですよ。鎌倉には海も山もあって、とても心地いいんです」と田邉さんは言う。
渡英前は都内で働いていたこともあり、当時は東京から離れてどんなふうに仕事をしていくのかイメージも湧いていなかった。また、好きなまちに根付いて働きたい気持ちもあるけれども、鎌倉近辺で完結するのではなく、広く日本各地から世界の仕事も手がけたい。目指すのはレンゾ・ピアノのような、自然に囲まれ都心からは離れた場所で世界中の仕事をする、そんな働き方である。そんな思いを持って鎌倉で仕事をスタートした。
そして現在では、事務所から半径約2km以内に住宅や店舗など13件のプロジェクトを実現し、国内でも複数のプロジェクトを抱え、ギリシャ・アテネでは薬局+集合住宅を、フィリピン・マニラでは商業施設を手がけるなど、当初思い描いていた仕事の仕方が少しずつ実現されつつある。地域に根差しながらも世界を視野に入れ、活動の場を広げつつある田邉さんに建築家としてのありかたを伺った。
生まれも育ちも鎌倉である田邉さんは、大学までは自宅から通った。専攻はフランス文学。「本を読むのが好きで、英語以外の言語を学びたかったから」だと言う。「大学時代はフランス映画もよく見ましたね。ほとんどは派手な展開もなく、人生の儚さを描きながらも美しい映像が続くものを好んでいました。」そんな文学青年だった田邉さんに大学3年の時に転機が訪れた。ずっとマンション住まいだった田邉家が、初めて一戸建てに引っ越すことになったのだ。築7年ほどの中古の家だったが、入居に伴いリノベーションをしてもらった。施工をしてくれたのは、家族ぐるみで昔から付き合いのある地元の工務店さん。庭に張り出したサンルームをつくってもらったり、お風呂にトップライトをつくってもらったりして空間が大きく変わることを体験した。その体験は、思い返せば小学生の頃から自らが通う学校の校舎や旅行先で訪れた時計台の建築模型をつくるくらい、ものづくりが好きだった田邉さんの眠っていた興味を呼び覚ました。ちょうど進路に悩んでいた時期でもあり、「この道に進みたい」とはっきりと意識したという。
早速、4年生になると大学とダブルスクールするかたちで専門学校のICSカレッジオブアーツに通いはじめた。ICSはインテリアデザインの学校として設立されたが、装飾的なインテリアデザインではなく寸法に基づき立ち上がった空間が根本にあることを重視していて、自身も現在は講師を勤めるように先生には現役の建築家が多かった。次第に建築に興味をもつようになり、カリキュラムは建築コースに進むことを決める。
専門学校を卒業するとICSの先生でもあった井坂幸恵さんが主催するbewsに就職した。住まいも東京に移し、麻布十番の事務所に通った。そして2年ほど働いたところで、芝浦工業大学の大学院に入って働きながら学び始める。大学院という場所で学びを深めたかったのと、建築家が集うと必ずといってよいほど研究室の話となるが、自分にそのバックグラウンドがないことにコンプレックスを感じていたこともあった。麻布十番から自転車で10分ほどかけてキャンパスに通い、同期や先輩後輩、交換留学生と繋がりも広がった。そうして自身が興味をもったことにはとにかくチャレンジをして経験をひとつずつ積み重ねていった。
そんな中、田邉さんが衝撃を受けたのが、FOAが設計した「横浜港大さん橋国際客船ターミナル(2002年)」との出会いであった。当時としてはまだ珍しかったAutoCADの3Dを駆使した複雑な空間が構造と設備と一体的にデザインされているのを現場見学会で目の当たりにして、これまでの建築のつくられ方とはまるで違うと思ったそうだ。そして次第にFOAで働いてみたいという気持ちは強くなっていった。当時勤めていた設計事務所での勤務が6年目となり次へのステップを考えていた時に、いよいよ文化庁の新進芸術家留学制度を利用してFOAで働くことへのチャレンジを決心する。
無事に選考を通過し、実際にFOAで働いてみると、意外と日本とは変わらないことも多いと感じたという。海外であっても、規模の大きな設計事務所であっても、プロジェクト単位で動いていくので2、3名のチーム構成となるし、入れ替わりが激しい中で実務経験のある田邉さんは重宝された。締切の間近や建築への探究心が旺盛な人は、日本と同じように残業し土日も出社していた。
ただ大きく違ったのは、プレゼンテーションの手段であった。クライアントとの打ち合わせでは1冊のブックレットを必ず制作した。「日本ではギュッといろんな情報を1枚の紙にまとめることが多かったのですが、ふんだんに紙を使って情報をどうやって見せると伝わるのかをよく考えていて、序列やレイアウトなど見せ方がとにかくうまい。そこの違いを痛感しましたね。」それは田邉さんにとって大きな学びとなり、今でも実践しているという。
FOAに行きたかった理由には、拠点がロンドンであったこともある。学生時代から建築探訪と称してヨーロッパの都市を巡っていたが、その中でもロンドンの街並みは清潔でコンパクトでありながら緑や歴史的な建物、新しい建物が絶妙なバランスで混在していて魅力的だと感じていた。
最初はホルボーンという中心街に住み、東側のオールド・ストリート近辺にある事務所までは徒歩で40分ほどかけて通った。「通勤途中には、大きな牛肉の塊がぶら下がっている肉の市場があったり、街中にはスクエアと呼ばれる公園みたいなものが各街区にあるのですが、その中を抜けて行くとリスがいたるところにいて、人々が朝ご飯を食べていたりと、日常が豊かで本当に気持ちいいんです。霧のロンドンと聞いていましたが大体ドライで、雨がさっと降った後は街中がキラキラしているし、季節によって公園の様子もどんどん変わっていきます。夏には立派なテントが建てられて、レストランになったりもするんですよ。」
その後、しばらくホテル暮らしをしたカムデン・タウンには小川が流れていて、細いボート(ナローボート)で水上生活をする人がいたり、そのすぐ横をランニングする人もいて、自然も街もいきいきとして見えたという。次に引っ越しをしたゴルダーズ・グリーンの近くには新宿御苑の何倍もあるような公園があり、週末は公園まで歩いて行ってカフェに寄り、バスで帰ってくるような日常の生活を楽しんだそうだ。
そして日本に戻ることとなった時、鎌倉を選んだ。
FOAでの経験を経て、世界を視野に仕事をしたいという気持ちは揺るぎなかったが、同時に、日々の生活や住まうまちの大切さも十二分に感じることとなった。「自分が心地よい環境で暮らしていたいと思ったのです。これからは同じように思う人がきっと増えるし、スタッフにもそういう人が来てくれるといいなと思って。」
当時は日本各地にプロジェクトを抱えるような設計事務所は鎌倉エリアには数軒しかなかったが、現在では30代の子育て世代を中心に、若手建築家がどんどん鎌倉に集まってきている。JIA神奈川が主催する「鎌倉まち歩き」を計画・実行してみて改めて分かったそうだが、事務所近くの由比ガ浜通りには、建築家が手がけた物件が数多く建ち並ぶ。田邉さんが設計した「鎌倉笹目座(2018年)」もこの通り沿いにある。「これだけ現役の建築家が手がけた建物が並ぶ通りも珍しいし、建築家に頼もう、というマインドをもったクライアントが多くいることも鎌倉の財産だと思う」と田邉さんは言う。
2023年3月11日に開催された、JIA神奈川主催の「まち歩きから始まる鎌倉のまちづくり」マップ。赤字の建築は主に現役の建築家が設計したものを中心とした現代建築で、当日はこれらを中心に見て回った。
「鎌倉笹目座」。鎌倉駅近くの由比ガ浜通りに面する2棟からなる木造2階建て商業施設。二重屋根・二重庇が独特な外観をつくる。
「鎌倉まち歩き」の際にも多くの参加者が訪れた。[ 撮影:八板晋太郎 ]
日本に戻って最初の仕事も鎌倉だった。屋上に上がると3方向を山に囲まれ、南に海を望むことの感じられる立地で住宅を設計した(「Kamakura130(2012年)」)。また鎌倉で手がけた住宅の離れ「アルマジロ(2013年)」は、甲殻のような構造的にも強固な屋根を持つ佇まいがどこか動物の「アルマジロ」のようでもあることからその名がつけられた。先にある商業施設「鎌倉笹目座」は、近隣の建物に見られる二重屋根・二重庇を解釈した屋根と庇で、壁が膨らんで庇となるような、独特な佇まいである。田邉さんの「建築の造形が街並みをつくる」という考えからつくられる建築は、どこかユニークな佇まいをしていて街ゆく人の目を楽しませる。
ほかにも鎌倉界隈での取り組みには、2015年に建築ジャーナリストやこの地域に関係のある建築家とともに「鎌倉・藤沢リングプロジェクト研究会」を立ち上げ、湘南モノレールと江ノ電、横須賀線によって囲まれる鎌倉・藤沢市内のリング状のエリアで観光と鉄道と建築を掛け合わせて生まれる可能性を自分たちから積極的に掘り起こしている。湘南モノレールに働きかけて、富士見町駅のバリアフリー化にともない壁面を改修したり(「湘南モノレール富士見町駅改修(2016年)」)、大船・江ノ島間を繋ぐ湘南モノレールの車内を会場として、吊り広告を作品発表の手段とした「7人の若手建築家によるサーファーの家展(2018年)」を開催したり、現在はその第2弾として鎌倉にゆかりのある建築家5人とともに「トレイルランナーの家展(2024年開催予定)」を企画している。展覧会はいずれも豊かな自然に囲まれ、成熟したまちなみを持つ鎌倉や湘南エリアという地で、サーフィンやトレイルランニングというスポーツを選ぶ人の特性を分析し、求められる家を提案するものである。そうして設計を通して身近なニーズを掘り起こし、積極的に働きかけている。
「湘南モノレール富士見町駅改修」。神奈川県の大船と江ノ島を結ぶ湘南モノレールの富士見町駅の壁面を鎌倉・藤沢リングプロジェクト研究会でデザインした。周囲の山々や、遠くは箱根や富士山と駅舎との距離・高さから導かれる形状を2次元化し壁面にプロットしている。
一方で、最近は海外からの設計依頼が届くようになった。「最初はミシガン在住のアメリカ人から、〈ペッタンコハウス2〉を見て、続編の〈ペッタンコハウス3〉をつくってほしいとの依頼でした。海外の情報サイトであるArchDailyやdesignboomで僕を知ったようです。」「ペッタンコハウス」の名の由来は上からぎゅっと押して潰したような、横長なプロポーションに特徴があるのだが、「比率は守られているとはいえ、ちょっとした体育館のような規模なのでもはやペッタンコとは言い難いかも(笑)」。また、ギリシャ・アテネからは、「ビルの2層分を増築し全体も改修して薬局と集合住宅にしたい」という依頼がメールで、ロシア・ウクライナ戦争が始まる前には、ロシア・モスクワからInstagram経由で「300㎡くらいの家を建ててほしい」との依頼があった。
いかにも現代的というべきか、SNSを通じて情報が広まり、日本人建築家を求める人からの依頼がSNSを通じて届くのである。「監理までは行えていないし日本でのつくり方とは違いますが、さまざまな気候や条件のもとで建築を考えることには大きな学びがあります。現在フィリピン・マニラでも商業施設を設計しています。アジアの都市ではこれからまだまだ新しい建物が必要とされる状況が続きそうで、実績を積みながら継続的に関わっていきたいと考えています。」
今後も海外のプロジェクトに積極的に取り組み、国内では公共建築のプロポーザルにもチャレンジし続けたいという。公共建築は参加資格で問われる実績が厳しいこともあり、応募できるものが限られている。しかし、「AIが建築をつくり出せてしまう今の時代に、人の手によるものづくりの過程や手触りのようなものにこそ共感する人は増えると思う。小さなスケールの家具から大きなスケールの構造体まで、さまざまな建築の要素を通してその可能性を追求したい。ものづくりの楽しさを伝えていきたいですね」と前向きだ。
また軸足をおく鎌倉のまちに貢献するようなことも引き続き行なっていきたいという。鎌倉に引き寄せられてきた若い建築家を中心に横のつながりを活かしてまち歩きの第二弾を企画したり、建築やまちづくりを通して鎌倉を盛り上げていくようなことを考えたいと意欲的である。そうして自身の生活圏にある要望を掬い上げることから、建築の建つ場所や文化、スケール、プログラムなどさまざまな条件を横断しながら、仕事の幅を少しずつ広げていく、田邉さんが目指すローカルでありグローバルでもある建築家の姿とはどのようなものなのか。独自の距離感で田邉さんが切り開いていく建築家のありかたとその先に生まれる建築を楽しみに見守っていきたい。
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