2023年4月2日、人口5000人弱の徳島県神山町に国内で19年振りに設置認可を受けた「神山まるごと高専」が開校した。15歳から5年間「テクノロジー×デザインで、人間の未来を変える学校」をコンセプトに、私立の全寮制で実践的かつプログラムパートナーが提供する授業等も組み込まれるカリキュラム、様々な分野からの起業家講師、学費の実質無償化等*1、全てが斬新でここにしかない学校だ。校舎および寮の設計者は、吉田周一郎さんと石川静さんが共同代表を務める shushi architectsと須磨一清氏で、吉田さんと石川さんはこの学校のコンセプト作りからまるごと関わってきた。
吉田さんは鹿島建設建築設計部、スペインのRCR Arquitectes を経て、2008年に独立。石川さんはNTTファシリティーズ、三菱地所設計を経て、2021年に独立し、吉田さんと共に shushi architects で活動を開始。shushi(シュシ) は、「種子」や「趣旨(コンセプト)」という意味が込められており、「コンセプトがギュッと詰まった小さくても面白い種のような建築を作って行けたら」という思いでつけたそうだ。
神山まるごと高専の鳥瞰。真ん中に流れている鮎喰川の右下が西上角校舎・学生寮(HOME)、左上の白い屋根の建物が大埜地校舎(OFFICE)。
写真:TOREAL 藤井浩司
お二人の神山との関わりは15年ほどになる。吉田さんが徳島の出身で、お正月やお盆の際に帰省していたのだが、2008年頃に神山の話を聞いて、NPOグリーンバレーの大南信也氏に会いに行った時に「神山の何がすごいかは一回じゃわからんよ!」と言われ、徳島でのプロジェクト(眉山の家/眉山の家Ⅱ)等に合わせて通い始める。「ただいま」と帰るようになった頃、吉田さんが「カフェ・オニヴァ」というレストランのオーナーからサウナを建てたいという依頼を受けた。それが「森のサウナ*2」だ。このプロジェクトでオーナーが吉田さんをSansan株式会社のサテライトオフィス「Sansan神山ラボ」に紹介してくれ、「Sansan 神山ラボ OMOYA*3」を作ることに。そんな風に神山に通っていたある日、大南さんから「学校を作ることになったけん。手伝ってくれへん?」と声がかかった。
お二人は面白そうなので話を聞くことに。2018年当時石川さんは会社員で、プロジェクト開発部などコンペチームにもいたことから、このプロジェクトについてもコンセプトから考えて作った企画書が「神山まちまるごと高専」。神山で学校を作るならどんな学校だろうという発想で考えた。実は以前からプロジェクトを考える際に「まるごと」とつけており、街を巻き込んだ取り組みとして、教育的にも発想が豊かになるだろうと考え、ことばが一人歩きして皆が「まるごと」の発想を持つようになれば、と考えていたそうだ。「敷地探しからプログラムを考えていったけれど、ゼロから高専をつくるってどういうことなのかと考えました。高校は都道県知事認可だけど、高専は5年一貫で文部科学大臣(国)の認可なので、よりハードルが高い。実は当初、学校の基本構想を作るために副校長をやってくれないかという話があったのですが、後に校長先生に良い人が見つかり私は建築に専念することになりました。校長先生が決まるまでの期間に面接等を行い、高専のカリキュラムや文科省の設置基準等含めて勉強したおかげで、全体像をある程度理解したうえで設計ができた事は結果的にはよかったです」と石川さんは話す。
実際の関わり方は当初は「プロボノ」で、2018年にキックオフするも敷地も未定。2023年の開校を考えて2019年に敷地決定、2020年に基本設計、2021年に実施設計、2022年に工事という4年間の超最短コースのスケジュールを立てた。「文科省の設置基準を満たす校舎と、全寮制の三学年分の寮を開校までに建設する必要がありました。様々な検討を経て、最終的には鮎喰川を挟む二つの敷地を計画地とするキャンパス計画になりました。木造平屋建ての校舎(大埜地校舎(OFFICE)以降、OFFICE)と、前年まで神山中学校として利用していた校舎を主に食堂と食堂にリノベーション(西上角校舎・学生寮(HOME)以降、HOME)として計画しました」と吉田さん。
「中学校から寮への用途変更、エレベーターや食堂を増築するので増築工事申請、二棟の新築の木造校舎、合計4本の確認申請出す事になった。こういうプロジェクトに関われる事は人生に何回あるか分からないし、これを成し遂げる為には会社を辞めて挑むしかないと退職を決心しました」と石川さん。
「こどもたちをまちで育てる」と題して作成した企画書。最初に考えたコンセプト図の答え合わせをするといろいろ当てはまっている。最終的には「まち」をとった形が学校名になった。
©shushi architects
行政関係、設備や構造の打合せ、工事契約書類等を含めた全体の総括設計を吉田さんが担当。工程管理と建設予算計画、家具取りまとめ、改修工事の実施設計を石川さんが担当。協働設計者の須磨氏が新校舎の実施設計を担当。施主側の窓口は、通常は管財担当者等がいるが、全員がプロボノで始まったチームで、建設資金計画、スケジュール、家具の調整等のプロジェクトマネージメントは主にshushi architectsのお二人が担っていたので、その役割も引き続きやりながら設計事務所の役割もしていたそうだ。
OFFICEを木造にする事は、神山で「まるごと」を考えていくうえでも、神山杉を利用すると最初から決めていた。丸太の芯材をOFFICEの柱や梁等に、その端材をHOMEの床材や家具等に使った。上棟を2022年の春から夏頃と想定し、木の切り時である2020年と2021年の年末、二年に渡って木を切って乾燥にかけた。吉田さんが基本設計段階で、何本の木材が必要かを算定した。2020年の段階では、文科省認可も降りていない状況の中、HOMEのすぐ側の製材所が中心となって、神山の4つの製材所を束ねてくれたので、総4000本の杉材を用意できたと言う。
「OFFICEは、研究棟と教室棟を2m程の段差がある棚田だった場所に建てました。研究棟は建物内に棚田の三段のラインが入り込むような計画で、研究室、ラボ、大講義室で構成し、教室棟は棚田の面積が一番大きな段に講義室5つと演習室3つを設置してます。建物は雁行型で元の地形に添わせて全体のランドスケープを作っています。やろうとする教育は地域固有のものだけど世界に通用する人材を育てるユニバーサル性、普遍的価値と地域交流価値みたいなことを大切に考えてこのような配置にしました。建物全体にフラットな屋根をかけており、屋根勾配は棚田の勾配に基づき、レシプロカル格子梁の1.82m角のグリッドシステムで全体を構成。構造は山田憲明氏で、打合せの議論から一見普通に見えるけど実は深い考え方が隠されつつ汎用性がある、ここでもこのようなユニバーサル性を持ったものでやるのがいいのではと言うことで決めたんです。構造計算で大スパンを飛ばせることが分かったのですが、接続部分の金物の存在を見せたくないと山田さんも私たちもこだわりがあり、組み立てを検討して進めていきました。」吉田さんが丁寧に話す。
左上より時計回りで:OFFICE全景。棚田の地形に沿って建っている/大講義室。週に一度、カリキュラムとは別に、外部講師によるセミナー等を予定している。レシプロカル格子梁はここだけ2段梁で、他は1段梁になっている/教室棟の廊下。右側に演習室、左側に講義室が並び、全ての部屋はガラス張りでオープン/研究棟のβラボ。左側がラウンジでその奥が研究室。視界が通るので研究室の先生と学生たちとのコミュニケーションがしやすい。
主に、寮になるHOMEは、5階建のRC造で2階の一部から4階までが寮室で、エレベーターと食堂部分を増築。基本的に天井や造作物を全て撤去して白く塗装し、地域の人たちが見た時に記憶の継承ができるようにあえて撤去跡もそのまま残している。食堂は外壁を撤去して平屋の木造耐火建築物を増築し接続させ、運営は地元の「フードハブ・プロジェクト」が地産地食の食事を提供。食堂に隣接させた図書室は、本棚のゲートを潜って入る。食堂と図書室を連続させたのは、これらの箇所を地域の人たちにも開放して使っていただきたい思いもあったからだそうだ。食堂の床はアピトン材で、神山杉は天井、壁、家具、寮室の床に使用。食堂の前にある庭は、木を剪定し桜や紅葉などの広葉樹を植えて、もともとあった石を再構築して座れるようにしてピクニックもできるようにした。サインは「神山まるごと高専」のロゴマークを作った磯谷博史氏で、建物内とも統一させている。
事務室は元職員室で、校長先生が職員と学生が気軽に話せるようにしようということでガラス張りにし、建具は神山杉を使用した。平日は3食提供されるので、週末に皆で集まって食事を作れるキッチンを食堂に設けた。もと教室を寮室へと改修。リビングを介して、正面に一人部屋2つ、左右二人部屋にして6人で1ユニットを構成。廊下側の洗面等へはリビングを通らないと行けない計画とすることで、寮生同士の交流が自然に生まれる仕組みにしたそうだ。食堂や図書室と同様に学生同士、そして地域の人たちとの繋がりも考えて計画されていることを様々な場所で感じる。
左上より時計回りで:LL教室だったところを第2美術室に。内装は全て撤去し白ペンキ塗り/1教室1ユニット構成の寮室。床は神山杉/厨房(右)と増築した部分の食堂(左)。ここのカウンターやテーブル席で食事が取れる。丸椅子は神山中学校から譲り受けたものをリメイクしている/昇降口だった本棚のゲート。右に図書室が二部屋続き、その奥が食堂。
左下の写真:TOREAL 藤井浩司
NPOグリーンバレーの大南氏が90年代から続けてきた町づくりの活動があったから、今の神山があると言えるのではないだろうか。「アリスの里帰り」から始まり、「神山町国際交流協会」「国際文化村委員会(NPOグリーンバレーの前身)」の設立、「神山アート・イン・レジデンス」「神山ワーク・イン・レジデンス」「神山塾」「サテライト・オフィス」の誘致等、時代時代の移住支援活動の中で関わられた方々との関係が築かれ、吉田さんと石川さんを始めプロボノで関わった方々や町の方々の協力でこの「神山まるごと高専」が誕生した。また、2015年に創生戦略策定、翌年に民間と行政をつなぐ「一般社団法人つなぐ公社」が設立され、現在は若い世代が「将来世代への大きな取組み」を引き継ぎ運営していることも大きい。
「プロジェクトの全編がコロナ禍という中で、私たちの集大成というか、石川のプロジェクト開発部やコンペチームでやっていた事、吉田と石川が設計から確認申請まで全部こなせるベテランだったし、須磨さんと寺田さんの長きにわたる信頼関係と彼の豊かな発想力にも助けられて、何とか乗り切れた。ゼロから計画を考えられたから、こういう魅力的なものができたんだと思います。建築は、与件を作る、設計をするところから考えた時のプロジェクトの方が面白くなる。結果的には神山に通って10年間リサーチしていたようなものですが、大南さんから声をかけてくださった時には本当に嬉しかったんです。ついにそういう日が来たかと」とお二人は振り返る。
shushi architects の取り組みは、建築家としての役割や関わりについて様々な面から考えさせられると同時に、都市や地方で抱えている問題に対して学ぶべき事例となるのではないだろうか。
[徳島県神山町、2023年]
西上角校舎・学生寮(HOME):RC造 地上5(改修)、木造 地上1階(増築)/敷地面積:15,671㎡/建築面積:1,186㎡/延床面積:3,879㎡/写真:TOREAL 藤井浩司
https://shushi.tokyo/2405/
大埜地校舎(OFFICE):木造 地上1階/敷地面積:8,252㎡/建築面積:2,199㎡/延床面積 1,955㎡/写真:TOREAL 藤井浩司
https://shushi.tokyo/2479/
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