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幾つかの建築雑誌休刊が相次ぐ時期に誕生した[建築系ラジオ]。総配信数は436本(内、建築系ラジオLab 158本・建築系ラジオr4 154本・建築系ラジオポータルサイト 124本:2010年8月26日現在)を超え、最大で7000件のダウンロード数を記録したコンテンツもある。建築を学ぶ学生に影響力を与えつつ、ネット社会を象徴する媒体の一つとして発展してきた。黎明期からコアメンバーであり、これまで配信されたコンテンツでインタビュアなどを務めてきた松田達氏に話をきいた。
建築系ラジオが生まれたきっかけ
松田
[建築系ラジオ]が始まったのは2008年8月8日、ちょうど北京オリンピックが始まった日です。準備みたいなものはその少し前の6月から始まっていて、五十嵐太郎さん、南泰裕さん、亡くなられましたが大同工業大学(現大同大学)准教授だった山田幸司さん、僕の4人、もう一人実は彦坂尚嘉さんがその隣で寝てたんですが(笑)、南さん、彦坂さんの二人展があって、その後で(皆で)飲んでたんです。その深夜にポッドキャストの話が出て、こういうので建築版があると良いよねという話が出まして、それまでにも、飲んでいた時の話ってすごく面白いのにあっと言う間に消えてしまって、翌日には内容をよく覚えていないとか、飲んでいる時の方がいろいろ本音で話すよね、でもそういう話ってなかなかメディアに載りにくいよね、と話してたんです。先行事例としては[文化系トークラジオ]とかポッドキャストの番組を五十嵐さんはよく聞いていて、こういうのを建築版でやらないかという話がその日の晩に盛り上がった。そこから2ヶ月、アッと言う間に、やればできるみたいな感じで(笑)スタートしていったんです。その時のメンバーに関しては、その少し前から一緒に旅行に行ったり、リスボン建築トリエンナーレでご一緒させて頂いたりとか付き合いがあり、初期のコアメンバーとして、五十嵐太郎さん、山田幸司さん、南泰裕さん、僕(松田達)の4人で始まることになりました。
今は3つぐらいサイトがあって、ややこしいんですが、当初から二部構成みたいなことをやろうと、いや、二部構成とまではいってなかったかな? ともかく、最初は[10+1 web site](INAX出版)で展開する可能性と、もう一つは独自にやる可能性がありまして、[10+1 web site]で展開する話は(制作側と)させていただいてたんですが、実際にはやはりホームページを作るのに時間がかかるので、やれる時に、僕のホームページ(松田達建築設計事務所)の一部でサブドメインを作って、[建築系ラジオ]のホームページも自分で作ってやってみました。
幻のオープニングコンテンツ
オープンした8月8日に三本、実験的なヤツを配信したんです。一つは五十嵐さんが『磯崎新の「都庁」』(文藝春秋)をブックレビューする、声で書評をするというのが最初。それから僕と五十嵐さんとで槻橋修さんが関わられていた『建築ノート』(誠文堂新光社、現在休刊中)に関してインタビューしたものと。三本めが実は幻のファイルで(笑)、「カリスマ建築ガールズ」を初日に出したんです。これは大同工業大学(現大同大学)の浅野愛里永さんという当時1年生の女性で、インタビューを山田さんが中心でとった。これがかなり発言にきわどいものがありまして(笑)、出した時にすごく反響が大きかったんです。もちろん「こんなのないよ!」みたいな反応もいっぱいあって。結局、一回取り下げて、それからもう少し違うバージョンを出して、それもやっぱり取り下げて、ということで最初のファイルは4時間くらいしかネット上になかった(笑)。本当に幻のファイルになってしまった。
2つのベクトル
[建築系ラジオ]には最初からふたつのベクトルがあって、[建築系ラジオr4]では割と真面目な、NHK的なと僕らは言っていますが、ハードコアな建築論はそちらの[r4]で出す。もう少し、例えば学生が参加するコンテストとか、自由にやれるコンテンツ、実験的なコンテンツは[建築系ラジオ第二部]で流しましょうと。第一部・第二部構成でしばらくやっていました。今は[r4]と、[第二部]は現在[建築系ラジオLab]と称しています。
今は[建築系ラジオポータルサイト]がポータル(入口)としてありまして(2010年4月オープン)、[r4]と[Lab]がある。[r4]のR、[Lab]のLで、右と左じゃないですが、この2つがある。合わせて内容の多様化を促進する方向に動いていければ良いなと。今はポータルサイトがありつつも、3つのサイトが連動しながら、絡んでいきながら展開していくという構成をとっています。[ポータルサイト]は黒っぽいホームページで、毎日配信するのをできる限りでやっています。それから週に一度か二週間に一度のペースで[建築系ラジオr4]と[建築系ラジオLab]の2つのサイトを展開しています。
これまでで印象に残っているコンテンツは?
松田
話題を集めた「カリスマ建築ガールズ」
反響が大きかったものを挙げると、「五十嵐淳はどうやって建築家になったのか?」です。これはやっぱり五十嵐淳さんが[建築系ラジオ]で喋って頂いて、どうやって建築家になったのかという中核、生い立ちから中学、高校に至る、なかなか聞けないような話をして頂いたのが結構、面白かったのではないかと思ってます。
ほかでは「カリスマ建築ガールズ」ですね。これは十何回かを数えて、今は山田さんから倉方俊輔さんが引き継いでますが、「カリスマ建築ガールと建築デート」っていうとんでもないコーナーがあって・・・(笑)。いや、面白いと思うんですよ。いろいろとかんぐりを入れられるのがまた面白いんだと思うんですけど、それもなかなか他ではできない。男の子が聞くのかと思ったら、意外にも女の子が聞いているという話を後で聞いて驚きました。男女問わずに聞かれているところが良かったと思っています。
「カリスマ建築ガールズ」については、山田さんが事あるごとに言ってましたけど、「建築が上手い、設計が良くできる人を選んでいるのではない」と。もちろん容姿で選んでいるわけでもなく、なにかこうキャラが立った子、あるいはたまたま近くにいた子で、ちょっと面白そうだからとお願いしたり、そういうところが(聴く側に)親しみを持たれるところだったんじゃないかなと。
建築系ラジオしかできないこと
松田
スピード感
やはりスピード感は大事にしていきたい。その日に収録したものをその日に出すというのは不可能ではないんですね。必要となったらもっと速いこともできると思っていますが、実際に自分たちで編集をするようになりましたので、せっかくやるのであれば、紙媒体ではできないこと、他の同じ様なことをやっている人たちがいたら、彼らができないことをやるのが自分たちの役割かなとは思っています。
地方発
先ほど(収録前に)地方の話が出ましたけれども、最初から結構、地方・都市で何ができるか?といういうのが[建築系ラジオ]の一つのテーマになってまして、そもそもコアメンバーの中に必ず地方を拠点にする人が入っているんですよね。当初であれば山田幸司さんもそうですし、五十嵐太郎さんも東北が拠点ですし。今だと倉方俊輔さんも九州を拠点にされている。彼は東京にもよく来てますけど。北川啓介さんも東京にはしょっちゅう来るけど名古屋をベースにしている。僕もそもそも金沢出身で、時々金沢へよく行っています。そこで何か、なかなか表に発信できないような、そもそも(地方は発信する)機会も多くはないし、そんな声を取り上げて発信したい。つまり地方発ですね。それも地方から東京を経てもう一回地方へというかたちではなくて、地方から別の地方へ、地方から地方へという流れができてくれば、それは僕たちがやりたかった情報発信、情報受信の一つのやり方ではないかと思っています。
空気感とノイズ
もう一つは、なにかこう空気感みたいなものを音声に伝えられればいいかなと思っています。音声であることによって、例えば間の取り方とか、それから笑い声みたいなものとか、「こたつ問題」の時に問題にもなってたんですが、文字にしにくいものっていっぱいあると思うんですよね。それを伝えたい。今こうやって映像を撮っていただいてるみたいに映像という手段もあるんじゃないかと、前に一度、「建築系TV」というものを実験的にやったんですよ。USTREAMの配信を使って。でも、当初から解っていたんですが、映像って目の前で観ないといけないですよね。画面の目の前で。それは忙しい建築関係者がなかなかとっつき難いんじゃないかと。だから通勤通学で聞ける、作業しながら聞ける音声という形式をどちらかというとベースにしています。
音声の可能性については当初から考えてはいました。そもそも[建築系ラジオ]を始めたのは、最初の話に戻りますが、きっかけがもう一つあって、今の学生達、僕から見ても下の世代の人がそんなに本を読んでいないね、みたいな話があったんです。それで学生が面白いと思って聞いてくれているかもしれない。
それから意図的かどうかわかりませんけど、僕らは「ノイズ」を入れているんです。ある種のノイズを入れていて、別に聞いていてすごく聞きやすいBGM的な音楽としてやっているわけではない。せっかくやるのであれば、多少は「なんでこんなの流すの」と思われても、実は当初から方向性は変わっていませんが、僕らは僕らである種の実験をやっていて、今までのメディア、他のメディアでできなかったことをいかに組み込んでいくかを、ある種の[建築系ラジオ]のアイデンティティとしても持っていると思うんですよね。少なくとも僕はそういう風に考えています。必ずしも全てが良くできていて、聞いて満足してもらうためにやっているわけでは決してなくて、僕らは僕らの実験をやっていて、そこに興味を持ってくれれば良いですし、時たま「こたつ問題」とか「出会い系カフェ問題」とか、ある種の人々が「これは聞きたくはないや」っていうものもあるとは思うんです。でもそれは最初から全部聞いてもらう必要は無いと思っていて、まぁ全部聞くのも大変ですけどね。多様な可能性をコンテンツの中に入れておいて、そこから面白くないものはそれこそ淘汰されて無くなっていくでしょうし。聞く人の側も自分が気に入ったものから聞いてもらえれば良いかなと。そうは言っても全てのコンテンツはそれぞれ関連しているとは思います。同じ様なメンバーでやっているので、でも、表と裏じゃないけど、両方ありますよと。でもそれがある種の、建築界に生きる僕たちが縮図でもあると思うんですよね。
全体としては、建築界において幾つかのメディアが存在しているということは、多様にもなっていくわけですよね。それはそれで悪いことではない。
情報を発信するということ
情報発信が簡単になったことの弊害について考えているところはありまして、例えば、今は(ネットで)簡単に自分の意見が発信できる。それは書籍になるわけでもない。例えば雑誌に署名原稿として何かが載るというのは、ある種のハードルがあると思うんですよね。恒久的に。それに対して、例えばブログとかツイッターとかミクシィとか、そういうところで自分の意見をすぐに書けることは、それはそれで良いとは思いつつも、本になる文章を書くことに比べたら簡単じゃないと思うんですよ。それなりに違いはあると思います。もちろんブログの中にもすごく面白い文章はたくさんありますが。でも簡単に何かを発信できるからといって、即、それが社会に接続しているという回路になるとは限らないと思う。逆に、発信する人が多くなってくれば、相対的にはポジションが小さくなるわけだから。その中で、誰もができるけれども、自分はどうするかっていう、自分の固有性みたいなもの、自分の持っているメディアの固有性みたいなものを高めていくということがとても大事だと思います。だからこそ僕らは、少なくとも僕は、できる限り、[建築系ラジオ]という名前は割と一般的ですけれど、他でやっていないことを取り入れてやっていこうと思ってます。時々僕も叩かれたり、怒られたりするんですけれども(笑)、まぁ身を持ってやって、痛みは痛みとして受け取って、失敗したら失敗したで本当に申し訳ないと思いつつ、できるだけ自分が痛くなって他の人に迷惑かけなければ、それはそれで一つのかたちだと思っているので、そういうかたちででも前進したいなと思ってます。
なにか安定したところに[建築系ラジオ]がいく、とは僕はあまり考えていません。ある程度のところまで発展したとしても、例えば「お酒飲みながらの収録はそろそろ辞めた方がいいんじゃないですか」と言われても、一方でお酒をやめたコンテンツを流しつつ、お酒を飲みつつやっぱりやるっていうのもあると思うんですよ(笑)。それは申し訳ないことですが、大人になりきらない、みたいなところをやっていくのも大事かなと。いつまでも。そう、思ってます。
(2010年7月13日 都内にて収録)
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