概要 | シンポジウムはコロナウイルスの影響により開催中止となりました 1955年4月、京都大学工学部建築学科に入学した瀧は、大学内のアトリエで設計活動を始めていた講師の増田友也(1914~81年)の研究室に入り、大学院では、増田の下で、尾道市庁舎(1960年)や神戸市須磨女子学園(1960年)などの設計を担当する。大学院修了後の1962年、「海外で学べ」という増田の勧めもあって渡米し、ニューヨークのコロンビア大学大学院へ留学、フランク・ロイド・ライトやエーロ・サーリネンなど、最前線のモダニズム建築にも触れていく。だが、瀧は、建築よりもアメリカとヨーロッパの庭園を精力的に見て歩いたという。増田の下での設計実務経験もあり、飛び級により一年間で大学院を修了し、現地の設計事務所で働く経験もする。1964年に帰国した瀧が携わったのは、丹下健三(1913~2005年)の指揮の下で進められていた1970年日本万国博覧会のお祭り広場の基本構想の実施設計の共同作業だった。その中で、京都大学助教授で造園家の中村一(1931年~)とも出会っている。 1972年に瀧光夫建築・都市設計事務所を設立した瀧は、大阪を拠点に30年以上にわたって設計活動を展開し、中村からの依頼で最初に共同で設計を手がけた植物園施設である愛知県緑化センター(1975年)を手始めに、福岡市植物園(1980年)、服部緑地都市緑化植物園(1984年)、水戸市植物公園(1987年)など、全国各地に10件を超える温室や植物園を手がけ、環境デザインの世界を先駆的に切り拓いていく。そして、一連の鑑賞温室の設計により、1988年に日本造園学会賞を受賞、1992年には、シャープ労働組合研修レクレーションセンターI&Iランド(1990年)により日本建築学会作品賞を受賞し、造園と建築の両分野で表彰された最初の建築家となる。また、1993年から2009年までは福山大学工学部建築学科教授を務め、多くの学生を育てた。 しかし、その地道な作風と控え目な人柄もあって、瀧の名前と仕事を知る人は少ない。初めてとなる本展では、アトリエと自宅に遺された大量の手描きの設計原図やスケッチ、草稿などを中心に、瀧光夫の建築世界を紹介し、緑と建築との対話を軸に、彼が求めたランドスケープ・デザインの可能性と現代への示唆を読み取ろうとするものである。その豊かな建築世界と環境デザイン思想を通して、私たちの身のまわりの自然環境と建築や、都市のあり方について再考するきっかけになることを願っている。 |
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開催期間 | 2020年3月23日(月)〜 6月6日(土)10:00〜17:00(入館は16:30まで) |
会場 | 京都工芸繊維大学美術工芸資料館 2階展示室 |
入館料 | 一般200円/大学生150円/高校生以下無料 |
主催 | 京都工芸繊維大学美術工芸資料館 |
詳細 | |
関連イベント | シンポジウムはコロナウイルスの影響により開催中止となりました |
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