インタビュー No.016

グッゲンハイムヘルシンキコンペについて

楠 寛子氏 インタビュー


グッゲンハイムヘルシンキのコンペについて教えてください。

2014年4月、コンペがあることが公式にアナウンスされて、6月にコンペの要項(http://designguggenheimhelsinki.org/en/about/)が出ました。事前に噂でコンペがあると聞いていたのもあり、早い時点で構造をドイツのARUP、美術館のエキスパートとしてディーター・ボグナーさんに声をかけ、チームを準備していました。9月の締切のあと、12月の頭に6組のファイナリストになったという通知の電話がありました。そこまでが第1フェーズです。(この段階で世界中77カ国から1,715 の案が寄せられた。)

そのあと、2015年1月にファイナリストが現地に集合し、敷地見学を兼ねた4日間ほどのワークショップがありました。ヘルシンキ市の都市計画担当者やデザインイベントの企画者などに加えて、プロジェクトに反対を唱えている人も来て、なぜ反対かというプレゼンテーションもありました。短期間でありながら、行政から民間まで幅広く顔合わせができてしまうところが、フィンランド、ヘルシンキのサイズであり、彼らの意識、発言、佇まいからとても大事な情報を得ました。その時に、他のファイナリストと会うことができたのも興味深かったです。匿名でコンペをしているので、探り合いのところがあったりして…。敷地見学のあとに、審査員からのフィードバックがありました。それによって、塔の位置を変えたり、高さを調整したり、かなり全体的な見直しをしています。そのフレキシブルさが私たちの案の強みでもあったと思います。第2フェーズの提出締切は2015年4月8日でした。最終発表が6月末にあり、ヘルシンキとニューヨークでセレモニーがありました。https://issuu.com/srgf/docs/gh-04380895_a3_booklet_sanitised_-_/46

グッゲンハイム財団とヘルシンキ市は「グッゲンハイムとはどういう組織なのか、なぜヘルシンキはグッゲンハイムを誘致したいのか」という理解を促す住民参加のワークショップを2年程前から行っていました。その後、マルコムリーディングコンサルタンツ(Malcolm Reading Consultants:数多くの国際デザインコンペをオーガナイズしている英国のコンサルタント)が関わりましたが、プログラム自体はグッゲンハイムによって、解釈に幅があるように作られていました。グッゲンハイムが美術館をフランチャイズしたいと思われがちですが、ビルバオのように都市活性化を図ろうとする都市から誘致の手紙が何通も届くという状況で、その中にヘルシンキ市からの要望があり、それを受けたという経緯があります。ただ、ヘルシンキ市からは、オープンコンペとすることや、ヨーロッパの公共建築コンペコードを遵守すること等が条件としてグッゲンハイムに最初から伝えてあったようです。米国からスターアーキテクトを連れてきてつくるというのは困るということです。

グッゲンハイムヘルシンキはコンペ段階で公開されていた予算の配分を見ると、国から40%、寄付金が30%、残りはヘルシンキ市が負担するというスキームになっていて、寄付金はグッゲンハイムと言うクレジットに対して払うもので、建物の総工費は公共の資金で賄われる予定でした。そもそもヘルシンキがグッゲンハイムを誘致した大きな理由の1つは、スカンジナビア圏で国際的なコレクションを持っている美術館があまりない中、ヘルシンキ市が先がけてグッゲンハイム美術館を北ヨーロッパにつくりたいというものでした。一方、誘致に反対している人の主な意見は、ヘルシンキには既に美術館が数多く存在し、地元のアーティストは助成金を得て活動しやすい環境があるという現状が、グッゲンハイムヘルシンキができることでヒエラルキーができてしまったり、助成金に充てられていた予算がグッゲンハイムヘルシンキに流れ、地元のアート活動が衰弱してしまったりすることを危惧するものでした。

こういった意見を敷地見学の時点で聞くことができたおかげで、私たちは第2フェーズの提案をつくる際にそれらを反映することができました。例えば、地元のアーティストや若手のアーティストが優先的に使えるギャラリーを加えています。国際的なグッゲンハイムコレクションと肩を並べて展示ができますし、このギャラリーはこの美術館の中でもとても景色が良いところに配置されていて、陽がさんさんとはいって、海が見えます。カフェが隣接していますので、カジュアルな雰囲気の中でアートを鑑賞することができ、ビジネスの話になった時にもカフェのラウンジが近いのは便利かと思います。このギャラリーとカフェはグッゲンハイムのコレクションと同じ、25x25mの10個の箱の内の1つに入っています。

コンペに参加するにあたって、どういった意気込みでしたか?

独立していて挑戦できる状況にあったことを喜ぶと同時に、全力で挑戦したいという気持ちでした。知名度の高い財団コレクションですし、建築もあまりにも有名なので、予想される応募数であったり、建築のタイプだったり、規模やコンテクストが持つ迫力のようなものは感じましたが、そういったものとは全く別のところで、このコンペのテーマである「21世紀の美術館」についてじっくり考えてみたいという気持ちがありました。

私たちにとっては、グッゲンハイムビルバオを設計したフランク・O・ゲーリーと、審査員の一人でありBMWグッゲンハイムを設計したアトリエ・ワンの塚本由晴さんという、建築への姿勢がずいぶん違っている2人を考えるのは大きなポイントでした。ゲーリーは視覚的でエンターテイメント性の高い建築、塚本さんはフィールドワークに基づいていてコンテンツが充実している建築と捉えています。オープンコンペで数千の応募案を見るためには、一つの案を見る時間がかなり短い中で、建築のコンテンツの部分をどれだけ伝えられるか、ということには頭を悩ませました。実際に多数の応募案が視覚的なインパクトで挑戦しているものだったと思います。私たちもゲーリー型といいますか、視覚に訴える案を作ろうと試みた時もあったのですが、納得できずやめました。では、私たちが考えた「21世紀の美術館」、そのメッセージをどう伝えるかと考え、最終的にモノクロの線画として表現することにしたのです。

コンペを勝ってから今までについての経緯について教えてください。

6月末に審査結果発表でプロポーザルが決まってから、国内で予算が成立するかを審議するという流れになっていました。その予算成立までには1〜2年はかかるだろうということは事前に聞いていました。敷地は2年間留保することができるので、2016年12月まではグッゲンハイムが建物を建てる権利を持っていました。当初はその年のクリスマスには予算案が成立しそうと聞いたので、意外と早いなと思ったのですが、それがどんどん延びていって今に至りました。審議にかけるタイミングを計っていたところ、上向くだろうと予想されていたフィンランドの経済が良くなるどころか、どんどん落ち込んで行ってしまい、待てば待つ程状況は悪くなり、まず2ヶ月前に国の予算審議で通らず、40%の予算が見込めなくなりました。それを受け、ヘルシンキ市と寄付金からの予算を増額し、グッゲンハイムのクレジッドを30%ほど削減した案が1ヶ月程で作成されました。メディアでの露出も一時増え、再活性化したかに見えましたが、その時点で既にコンペから1年過ぎていたのもあり、なかなか難しい状況があったと思います。

その間私たちは、ヘルシンキや他の都市でプレゼンテーションをしたりして、案についての理解を深めてもらうということはしていたのですが、コンペが終わった瞬間からプロジェクトの中心がフィンランドの行政に移ったので、私たちもグッゲンハイムもスタンバイの状況におかれました。フィンランド人の中で合意形成ができてから、建物を建てるというのがとても大事だということでした。そして先日、ヘルシンキ市で再編した案を議会にかけたところ、残念ながら、今の議員の方々からは否決されてしまいました。世界政治的な背景もあったと思います。ただ、プロジェクトをサポートしてくださる方々はたくさんいらっしゃるので、ヘルシンキの経済が上向いて、議員も入れ替わり、「やっぱりあのミュージアム、建てたほうが良かったんじゃないかな」という声がでるといいなと心から思っています。

今回のコンペにおいて、フランス人と日本人が主宰する事務所であるということはアドバンテージになりましたか?

私とニコラの個人という前に、ヨーロッパ人というのは、都市計画的なレベルでヴォリュームや社会性を考えて行くのに対して、日本人である私は自分の体験であったり、建物の中のタイル一枚から考えて建物を構成して行くところがあるように思います。大きなところからスケールダウンしていくニコラと、小さなところからスケールアップしてく私の考えが出会うところを探るというのが、私たちの事務所の一つの特徴かもしれません。それから、文化的な背景が違う2人が共鳴できる最大公約数を探すような作業を日常的にしていて、今回のように規模が大きく多国籍なコンテクストにおいても、その公約数探しというのが役立ったように思います。また、そのエクササイズがあったから、未知数や発展性を十分に残すという作り方ができたのではと思います。

第2フェーズでマインドマップというものを加えて提出しました。通常、美術館のプログラムで大事な設計条件と言ったら、光や湿度のコントロール、キュレーションのしやすさなど具体的なものはいくらでも考えられると思いますが、例えば週末の過ごし方、友達との待ち合せといった、美術館に限定されない時間や経験の質であったり、毎日の暮らしに対する見方のようなものをヒエラルキーなく並べたものです。私とニコラ以外の様々なバックグラウンドを持つ、世代の違うスタッフたちと、美術館に期待するものは何なのかと話したときに出た要素をフラットに置いてみたものでもあります。設計が始まれば、それに様々な人が参加して行くことを期待していました。グッゲンハイムやヘルシンキ、プログラムに特化したものではなく、のどかな時間を作るということが同じように大事だということをあらわしています。

グッゲンハイムが目指す美術館が変わってきているように思いますが、いかがでしょうか。

私たちもBMWグッゲンハイムのころからグッゲンハイムが変わったなと思っています。かつての権威的なトップダウン式な美術館ではなく、裾野の広いところから始まるボトムアップ式な美術館へのシフトといいますか。故に、パートナーとして、国民一人一人が積極的で、意識が高いフィンランド、ヘルシンキのオファーを受けたのかな、と思うのです。BMWはテンポラリーな施設で、道に突然現れるようなところがあるので、バウンダリーレスな参加者によって成り立たせることができましたが、それをパーマネントにできる国民の力と地理的な条件を備えたヘルシンキを選んだということだと思っています。

現代アートは、鑑賞する対象から考える対象となり、アートを考えることが社会や都市を考えることと同義になりつつある中、美術館は生活の一部であって、目的ではないのかもしれません。だから美術館を考えるのは本当に楽しいのだと思います。

インタビュー(2016年12月): 柴田直美