インタビュー No.007

「隠れられる場所」
2007年度日本建築大賞受賞作品/情緒障害児短期治療施設

藤本壮介氏 インタビュー


- 再生時間:14分27秒 -

設計の際、配慮した点は?

藤本

《生活棟》という名前がついている通り―、もちろん用途としては結構、特殊というか、いわゆる普通にはない建物の一つだとは思います。実際にこういう種類の建物は、僕らが設計している時点で日本に20数ヶ所しかなく、せめて各都道府県に一つはつくろうよ、というようなことが行なわれていた時でした。北海道ではこの建物が最初です。そういう意味では特殊な建物には違いないと思います。

但し実際は、子供達の定員は50人なのですが、情緒障害児という、これまたちょっと変な名前ですけれど、いわゆる虐待などで精神的にちょっと傷を負った、あるいはダメージを受けたり、弱ってしまったり、そんな子供達が集まってきて集団で生活をする。その中で、他の子供達とか、スタッフの大人の方とか、周りとのコミュニケーションを通じて段々回復していくという施設なのです。

ですから基本的には「人が住む場所」というのが一つ、大きいですね。但し、住宅ほど小さなスケールではなく、50人+スタッフがいますので、ある種の都市的な、多様な関係が常に起こっています。その中にはポジティブな関係もあるし、ネガティブな意味での関係もある。例えば嫌いな人がいるとか(笑)。そんなことも含めて、いわゆる都市的な状況でもある。僕の中では特別な建物を造るというよりは、人間が住む場所―という意味では一番、根源的というか、ベースになるようなものなのではないかと。大きく言えば、そういうところから出発しました。

施主からの要望は?

藤本

今回の《情緒障害児短期治療施設》の場合は子供が相手ですが、「隠れられる場所」というのが一つのキーワードでした。それは、僕にとってもそうだし、(自身が医者でもある)施主側からたぶん出てきた言葉です。ちょっと「逃げ込める場所」とか「隠れる場所」とか、廊下の途中の「へこみ」みたいなイメージですね。

例えば、施設内には個室がそれぞれあるので、子供達は隠れようと思えば個室に逃げ込むことができる。けれども僕らが言う「隠れられる場所」というのは、繋がりながらもちょっと未だ身を隠している、というようなものです。子供達は「隠れている」ということを、実は他の大人や子供にわかって欲しいというところがあります。そういういろいろな心の起伏みたいなものに対して、そこにある場所が、押し付けがましくなく、でも、いろいろな可能性を与えることができる、選ぶことができる、そういう建築が何かとても良いなぁと思うのです。

通常「病院」というと、ディルームというリビングスペースみたいなところがあって、皆がそこで集うという(笑)、なんとなくそういうものだと思われてきましたが、実際はポジティブな関係性もあればネガティブな関係性もあるので、皆が無理矢理そこに入れられるというのは何か変なんじゃないかと思いました。例えば1人になりたい時もあるし、2、3人くらいで静かに話がしたいときもある。そういう時に、いろんな場所を用意してあげて、子供達が選べる方が良いのではないかと。それは別にリビングルームのような部屋でなくとも、廊下の片隅にちょっと「くぼみ」みたいな場所があって―というものでも良いのではないか。そんな場所がいろいろ分散していたら、良い病院になりそうだなと。その時は未だ夢のような形で(施主に)語っていただいたのですが、それについて僕はとても面白いなと思ったのです。

当時、僕自身が自分の建築をどうこうと考え始めた時だったのですが、そういった「何に対して使ってくれ」というよりも、「場所をどんどん選べる」みたいな考え方は面白いなと。それは建築の造り方として面白くて、共感を持った記憶がありますね。

施主は自身の経験からそのような提案をしたのでしょうか?

藤本

そうだと思います。だから本当にリアルな、そのリアリティが逆に僕には面白かった。リアルな現場からこういうイメージが出てきて、それが全く分野の違う建築を設計するという、僕にとっても妙に面白かったんですよね。

建築雑誌で《情緒障害児短期治療施設》を見ると、ちょっとやはり”奇抜さ”の方が先に立ってしまう。プランが先ずぐちゃぐちゃだし、建築家だったら(リアルに)イメージできると思いますが、一般の方だと難しい部分もあるかもしれません。

但し、実際に現場に行った時のスケール感とか、場所の雰囲気とか、そういうものは、僕はある意味ではとても良くできたと思っています。これまで言われている「病院」という場所は、人が居る場所としては結構、辛いものがあると思うんです。人が生活する場所という意味で考え直してみると、むしろこういう(《情緒障害児短期治療施設》のような)ものの方が自然なのではないかと。

今回のJIAの審査の時、審査員の方と1時間くらい中を歩いて、馬場璋造さんも最初は「なんなんだ?ここは」という感じでした。どっちに何があるかわからないし。一回りして、最後に食堂でいろいろと話をさせていただいたのですが、馬場さんが「居れば居るほど居心地が良くなってくる場所だね」と言って下さった。その一言はとても嬉しかったですね。

過去の作品との関連性は?

藤本

時間的に実は《登別のグループホーム》は、この《情緒障害児短期治療施設》とほぼ同時期ぐらいに進行していました。《伊達の援護寮》という、黒い家型であったり、片流れの屋根みたいなのが集合している作品とは多くの共通点があると思います。その《伊達の援護寮》をつくった時には、これもやはり精神医療関係のものでしたが、住宅的な、ある落ち着きみたいなものと、都市的な多様性のようなものをなんとか両立させたいなと思っていました。例えば東京の街のように曲がりくねった道を設定してあげるような、箱が角でいろいろな角度で繋がりながらという設計でした。

このプランが出来上がった時に、道の途中に「くぼみ」みたいな空間があって、まるで道を歩いていくと途中で小さい広場みたいなのがあったりするというような造りになっていました。ただ出来上がってみて、「もっと自由でいんじゃないかなぁ」という印象が一つあったんですよね。それと、設計に際して類似の子供向けの施設を横浜に見に行ったのですが、その時にも、子供の動きというのはもっと自由なのだと感じていました。

見学前、僕らはいろいろな案を試していたのですが、僕は最初、ル・コルビュジエの「ラトゥーレット修道院」みたいなものをイメージしていて、何かああいうユートピアみたいなものにできないかなぁと。僕は勝手に「子供が回廊を瞑想に耽りながら歩く」みたいなことを、何故か想像していたのです(笑)。ところが、実際に施設を見に行って子供達の動きを見ていると、「どう考えても子供は回廊を歩かない」とわかった(笑)。むしろ回廊を歩くというのは、かなり自立した(大人の)行動ですから。そうではなく、彼らは他の子供や大人のスタッフと常に繋がりを持とうとしている。べったりと一緒に居るだけではなくて、仮に離れて散り散りになった時でも、別々の場所で遊んでいたとしても、何か意識している感じがとても伝わってきたのです。ネットワーク上のいろいろな所に居る、大人だったり、友達だったり、嫌なヤツだったり、そういう対象を意識しているような感覚があって、それがとても僕には面白かった。

そうすると、ストリートのようなものをつくっていた前のプランに対して、もっと方向が限定されない、まさにネットワーク上の「場の雰囲気」みたいなもの(を感じられる)方が、どうも面白そうだなと。たまたまその時に、僕らはいろいろなスタディー模型を作っていたのですが、その中にこれ(《情緒障害児短期治療施設》の平面プラン)があった。当時は箱をただ寄せ集めたみたいな、集落みたいなのがあっただけですが。その意味が、つくった時にはわかっていなかったのですが、子供達の動きを実際に見て、動きの中にある法則性―というのかな、それを発見した時に、箱がグシャッと集まっているプランが、子供達の動きと非常に似ていると思いました。もしかしたらこのプランがとても有効なのではないかと。ある種の再発見というか、自分でつくっておきながら意味がよくわかっていなかったモデルに対して、実際にリアルな子供の動きから逆に再発見をするような形で、踏み切れたというのが大きい。

《情緒障害児短期治療施設》

狭さと広さと

住宅の密集した中野界隈の雰囲気がお好きだと伺いましたが?

藤本

北海道は広くて、僕の実家は田舎だったので、周りが本当に広々としていて何もなくて、そこに家がボンと一軒あると。それはそれで快適なのですが、家から外に出た時の―例えば山で遊ぶとか畑で遊ぶとかいう選択肢は確かにたくさんあるのですが、外に出て、遊んで、また家に戻ってくる、みたいな感じでした。東京に居ると、外に出ても、自分のエリアが拡張したような感じがします。例えば、歩いてコーヒーを飲みに行ったりコンビニに買い物に行ったりできますよね。そうすると、自分(のエリア)がもっと拡張していって、家に住んでいるだけでなく、街全体を動き回って住んでいる、みたいな。その感覚が、東京に出てきた当初の僕にはとても嬉しかった。自分が拡張されたような感じ、家というものがもっと広がったような感じがありました。

あとは個人的に割と狭いところが好き、というのもあります(笑)。例えば穴倉のような。子供の頃もダンボール箱の中とか(笑)、ベッドの下とか(笑)、そういうところが非常に落ち着くんですよ。

たまたまそういう(住宅が密集した)ところで、大学を卒業してから、建築家になるまでの時間を過ごしていたこともあって、そういう(体験を)無意識のうちにベースにして、自分の建築観のようなものを、どうやら築き上げてきたようなところがあります。

先程の話に出た、廊下の途中に「くぼみ」のようなものがあっても良いじゃないかという(考え方)も、身体的にとても「それ良いな」と思えたのです。同時に、そこから建築を組み立てていくことが何か新しいのではないかと。まぁ、たまたまなのですが。

自分のやっていることに「やらされている」という感じが全然なくて、とてもリアリティを感じながらできているのは確かですね。

その時の体験が今回の設計に生かされているのでしょうか?

藤本

そうですね。

東京の街というのは非常に不思議だなと思うのですが、こんなものがつくれたら最高の建築だな、みたいな。東京に限らず、ヨーロッパの中世の街なども、やはり同じように―何かが違うのだけれど―似たところがありますが、そういう(雰囲気が)好きで。もちろん広々としたところも好きですよ(笑)。狭いだけなのはやはり嫌ですから、狭さと広さがうまく関係している空間が、たぶん好きなのでしょうね。

(2009.10.22. 池田アトリエにて収録)