生きもののようなガラスとは、どんなものだろうか。
謎めいた問いかけである。当然、ガラスは生きものそのものではない。だからこそ、「〜のような」という比喩的な表現を使っており、何をもって生きものらしさのイメージを建築に重ねあわせるのかは、様々な解釈がありうる。例えば、20世紀に日本が海外に発信したもっとも有名な建築理論のメタボリズムは、生物の新陳代謝に注目したし、丹下健三の東京計画1960も脊椎動物を参照しながら、線的に成長するヴィジョンを提示した。また環境制御装置として被膜が動く建築、もしくは藤森照信の独特な造形やテクスチャーを生きもののように感じる人もいるだろう。
では、ガラスはどうか。しばしば冷たい素材と思われがちだが、そのイメージを変え、新しい感覚を創出できないだろうか。第一に、人間が生きもののように感じるケース。例えば、インタラクティブにふるまうガラス。親近感をおぼえるガラス細工や、ぐにゃぐにゃのガラス建築である。第二に、ガラス自体の物性に注目すること。ガラスは液体が固体の状態になったものだが、融点が低くなれば、その行き来は簡単に起き、気温によって膨らむなどの変化が起きるかもしれない。また風が吹けばそよぐような極薄のガラスも登場しており、先端技術の可能性もデザインに接続するだろう。
生きもののようなガラスから、これまでになかった魅力的な建築を発想して欲しい。